2015年12月16日

二十世紀鉄仮面(小栗虫太郎)その6 第一篇 豪華船を追うて 3

−− 承前 −−

 そして、それから、戸棚と云わず、花瓶や長押の中までも調べたけれど、遂に二枚の封書は発見されなかった。
「一体法水、これからどうするつもりなんだ。間抜け面を、この紙に残して、おめおめとこの儘帰るつもりか。まず、ともかく落着くことだよ」
 と彼が、苦笑を洩らしたとき、さっき階段の上で見た、張り反古葛籠を思い出した。もしやしたら、あの中に張り隠されているのではないか──そう思うと、彼は危険を忘れてそのまま二階に上って行った。
 それは、階段の天井から、太い紐で吊されていて、摑んだ連尺が、ボロボロと手に残った。が、やがて降して、灯りに透かし見たとき、彼は、この廃屋にある、一つの、全く別種の秘密を知ることが出来た。
 ちょうど、灯りに向いた方の側が、火事のある夜空のような色で染まっていて、次の仮名文字の跡が、たどたどしく印されであった。
 
 ──わが悲運のほどを、書き記したくも、止め度なきことなれば略し、ただただわが名、ヨハンナ・ローテルリンゲンのみを末世まで止め置かんとす。われ、墺太利ガスタインを領する、貴族の身なれども、子なく夫に死なれて、黒衣婦人の会に入りぬ。しかして一八一六年、東洋布教のために、福州に赴きしかど、途中難破して、ひとり五島沖に漂着せり──
 
と続いて、この尼僧を繞り、蜂起した、隠れ宗徒殉教の次第が記されていたが、一夜嵐の夜に救い出されて海上をいずれかへ運ばれて往った。それが、茂木根の衆の棲む、上宮の郷で、即ち、当主球磨太郎の弟織之助の住む鎗打砦であった。
(作者より──以下の文章を、現代語に移して、ヨハンナの奇運を、耳親しい響でお伝えしたいと思う)
 
 その頃は、若芽と一緒に、椎の木が孔雀のように羽を拡げて居りました。南の方、鬱蒼とした森の中には、鐘つつじの紅が、青葉を綴り、点々と咲き乱れているのです。
しかし、晴れ渡って紫にまた紅に、そして陽が沈むとき、遠く火山らしい斜面に、いつか見たナポリの山を憶い出しました。そう云う時には、いつも十字架を取り出して、そっと頬に当てるのですが、すると鉄の冷えが、間もなく暖ばんで来て、ぬるっとした乳のような流れを覚えるのでした。
 と云って、私の現在は、決して不幸だとは申されません。砦の主を、まだ一度も見たことはありませんけれど、一人の侍女を付けられて、いま御恩寵を、あまねくこの身に浴びる快よさを感じて居ります。
 その侍女は、名を琴路と申しまして、甲斐甲斐しく、褥も隣り、時には流浪の、この身を抱いてくれまして、私の堕ちゆく暗さを堰き止めてくれるのでした。
 ああ、尼僧たるこの身が、何としたことか。性の同じき、二人の恋人を、撚れ合う蛇のような、戯れ文字で描きたいのでは御座いません。琴路は、小枝にじゃれる子猫のように、私の胸の狭い戸を、窮屈すぎるからとて、開けようとしてくれるのです。
 私は、神の恵み、天国の静謐が、ああも星の光る、上天にあるとは存じて居りますけれど、いつか琴路の囁きが、私を花のように項垂れさせてしまったので御座います。
 琴路は、異境にひとり咲く、この寂しい花を燃やしてくれました。ああ、人の世の短い夏−−秋の雨に、萎れゆこうとするこの葵に、一羽紅色の蝶が訪れてくれたのです。
 それからは、何と云う粗暴な、狂わしい夢を見続けていたことでしょう。所がやがて、私を無明の深淵に突き落した、あの一夜が参りました。
 誰もいないと信じて、浴室の扉を開いたとき、この眼に、一体何が映じたことで御座いましょうか。激しい動悸と共に、顔が火照ってきて、私はクラクラと蹌踉きかかりました。ああ、琴路は女性では御座いませんでした。
 あの陽炎、ほんとうに陽炎で御座いましょう。××が、ぺトリと肌に纏わり付いていて、蛇の目を暈かしたように××××××××××××見えないのでした、私は、私は……永く隣り合わせた××、××××××、×××一夜がなかったとは云い切れまいと思いました。しかし、そうしているうちに、羞いも怖ろしさも、いつか身体からすうっと抜げてしまって、ただただ揺ぐ夢幻に、疼く乳房をギユツと圧えて居りました。
「ああ、あれが、女形とやら云う、噂に聴いた伎者ではないかしら」と夢うつつの中で、呟くともなく口に出しますと、その時背後に当って、重々しい男の声がいたしました。
「そうともあれは花桐冠助と云うて、流れの伎者じゃ、嘆くか怒るか、どうだ。いっそ泣き喚いて計略にのった、おのれの愚かさを悔むが何よりじゃ」
 その手は、はや私の肩を摑んでいて、男の吐く息が、嵐のように私の顔を吹き捲りました。ああ、はじめてこの砦の主、織之助を見たので御座いました。
 大首で、髪をおどろに振り乱した、鑞のような顔──。素肌に、朱の陣馬掛けを羽織って、かねて聴いた、密林のような毛が、胸から下を覆うて居りました。
 すると間もなく、うつつの私から、温みがすうっと遠ざかったと思うと、ゲェッと、聴くも凄じい叫びが、流しの方でいたしました。
 その瞬間、稲妻のような閃きに、顔を覆うたのも暫し、のめり倒れた冠助は、見る見る朱の流れに覆われて行きます。
「どうじゃ。わしがこの紅葉の中を、歩もうとそちを誘っても、もう怖れて、否むことはあるまいな」
 私は、瞬きもせず、織之助の胸をじっと見詰めて居りました。いつの間にか、帯が、身の丈より七八寸も余って、×××××××××××××××××。
 
 あちこちと飛び飛びになっていたのを、ようやく綴り合わせて、張り反古にある全文を読み終えることが出来た。
 しかし夢幻的な、この物語よりも、なおまし、彼を昏迷の底に突き入れてしまったのは、この古い文書を知ってか知らずか、葛籠をいまも離さぬ種子のことである。
 これが、茂木根の秘史とも云う、世にも奇異な遺文にはちがいないけれど、それを持つ種子と茂木根との関係が、何より訝しく思われるのだった。沖して、ますます種子の本体が分らなくなってしまって、謎と呼び疑問の女と呼んでも、なお且尽きせぬ深さを覚えるのだった。
 しかし、法水は、やがて冷静に戻ると、何とかして、あの二つの封書を捜し出さねばならぬと考えた。
「きっと、種子と茂木根との聞には、何かしら予測も出来ぬ、関係があるに相違ない。そして、建値表の内容が、恐らく、茂木根の死命を制するものかも知れないぞ」
 そして、焦だちながら、あれこれと繞らすうちに、ふと思い付いたのは、ポウの「盗難文書」であった。
 そうだ、手近な平凡な隠し場所──そうだ、もう一度、あの洋琴の側に。そして、床に投け捨てられている封筒を、また拾いあげて、今度はその厚い紙を、指先で捜ると、ゴツゴツと当る二つの手触りがあって、それが羅紗紙で二重に作られていた。
「これで、まず宜し──と。しかし、流石に、大章魚の疣だけのことはある。種子の狡智たるや、実に驚くべきものじゃないか。まず、内容の白紙で眼を奪って置いて、次に封筒の存在を、相手の盲点にしてしまう。そして、羅紗紙を二重に作って、その間に隠して置いたのか……」
 法水は、こうして充分彼に、拮抗することの出来る人物が、何人果しているかと思うと、茂木根秘密機関の、底知れぬ力が恐ろしくなって来た。しかし、その夜は、種子との暗闘に勝利を占めて、意気揚々自宅に引き揚げて行った。
 所が、一度廻りはじめた運命の歯車は、彼の裾を、しっかりと噛みしめていて離さなかった。彼が、卓上灯の灯にかざして、羅紗紙の封筒をじわりじわりと剝がしはじめると、意外にも、予期も許さぬ、奇異なものが現われて出て来た。
 それは、二通の封書であるにはちがいないが、あの建値表とは、似てもつかぬ別のものであった。
 彼は、戦く手で、内容を取り出したが、打ち続くあまりの転変に、思わず叫び出したいような衝動に駆られて来た。
「一体、この私は誰と闘っているのだろうか。茂木根秘密機関とか、種子とか、それとも、運命とか……」



本編は下記のKindleブックでお読みいただけます。


◆黒死館殺人事件 二十世紀鉄仮面 法水麟太郎 全十編 完全版
www.amazon.co.jp




posted by じん at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 小栗虫太郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。