2016年06月03日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第四回 写真の怪」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第四回目をお届けいたします。
 今回はトピック冒頭のイラストがなかったので、文中のイラストをお届けいたします。


 スキャンした画像をPDFで保存し、章単位でPDFをバインドしてOCRをかけているのですが、このページは、あろうことか、バインドするとページの向きが逆になってしまいました。したがないので、このページだけOCRしたら、やっぱり画像が180度回転。原因はわかりませんでした。結局Photoshopで画像を開いてイラスト部分を消してからOCRしました。イラスト部分を取り除くとOKでした。


   暗黒星 第四回 写真の怪

 それから二時間ほど後、危うく一命をとりとめた一郎は、医師の手当てを受けて、寝室のベッドの上に横たわり、明智の知らせによって駆けつけた、警視庁捜査課長北森氏の取調べを受けていた。人を遠ざけて、室内には一郎と捜査課長と明智探偵の三人だけであった。
 主人の伊志田氏夫妻や、一郎の姉妹たちも、もう帰宅していたが、医師の手当てがすむと、別室にしりぞいたのである。
 一郎の負傷は思ったよりも軽かった。胸部の傷は短刀が肋骨の上をすべったものと見えて、肺臓には達していなかったし、右の眼も、瞼の下に裂傷を負ったばかりで、眼球そのものには別条なく、危うく失明をまぬがれていた。出血は可なりひどかったけれど、輸血を要するほどではなかった。
「どうです。話しができますか。苦しくはありませんか。苦しければもっとあとにしてもいいのですよ」
 北森捜査課長は、いたわるように言いながら、ベッドの負傷者を覗き込んだ。
「大丈夫です。大変楽になりました。少しくらいお話しできそうです」
 一郎は低い声ではあったが、案外しっかりした口調で答えた。
 胸部は繃帯にふくれ上がり、頭部から右の眼にかけても厚ぼったく繃帯が巻きつけてあった。
「苦しいでしょうけれど、これは捜査上どうしてもお聞きしなければならないのです。なるべく正確に答えてください。あなたは犯人を知っていますか」
「わかりません。僕は犯人の顔を見なかったのです」
「覆面をしていたのですね。しかし声だとかからだの恰好だとかに、何か心当たりはなかったですか」
「少しも心当たりがありません。まったく聞いたこともない声でした」
「誰かに恨みを受けているようなことはないのですか。少しでも疑わしい人物はないのですか」
「ありません。僕はなぜこんな目に遭ったのか、まるで見当もつかないのです」
「そうですか、それで犯人は不意に書斎にはいってきたのですね」
「ええ、まったく不意でした。もっとも、僕はなんだか恐ろしい予感がしていたのです。すると、廊下を聞き覚えのない足音が近づいてきたのです。それで、明智さんにあんな電話をかけたのです」
「犯人は口をききましたか。なぜあなたを殺そうとするのか、そのわけを言わなかったですか」
「何も言いません。一と口も物を言わないで、いきなり短刀で突きかかってきたのです」
「あなたは防ぎましたか」
「ええ、死にもの狂いで防ぎました。しかし、とてもかなわなかったのです。僕はあまりの恐ろしきに、力も抜けてしまったようになって」
「なぜそんなに恐ろしかったのです」
「あいつの姿が怖かったのです。黒い覆面の中から覗いている二つの眼が、無性に恐ろしかったのです。それに、僕の娘です。組み合っているうちに、あいつの短刀の先が、僕の右の眼ばかり狙っていることを知って、ゾーッとしたのです」
「そんなに眼ばかり狙ったのですか」
「ええ、この右の眼をグイグイと突いてくるのです。僕は力の限り防ぎましたが、あいつの力が強くて、短刀の先が、ジリジリと僕の眼に迫ってきました。僕はあんな怖い思いをしたことはありません。ほかの場所ならそれほどでもないのでしょうが、眼ですからね、ほんとうに心臓が止まるような気持でした。
 そして、とうとう突かれたのです。でも、あいつの狙いが狂ったのか、僕が顔をそむけたためか、幸い、眼球を傷つけられないですみましたが、僕が『アッ』と声を立てて眼をおさえたものですから、目的を達したと思ったのでしょうね、しわがれ声で、さも嬉しそうに、ウフウフ笑いながら、今度はとどめを刺すように、胸を突いてきたのです。僕は眼をふさいでいたので、何がなんだかわかりませんでしたが、胸にはげしい痛みを感じると、ああ、もうだめだと思いました。そして、そのまま気を失ってしまったのです」
 語り終って、一郎は疲れたようにグッタリと眼をふさいだ。繃帯のあいだから見えている半面が、発熱のためにポッと赤らんで、閉じた眼の長い睫毛がかすかに震えている。
 明智探偵はその美しい顔に、じっと眼を注いでいた。何かしら吸い込まれるように、瞬きもせず見つめていた。
 北森氏も腕組みしたまま物を言わなかった。こいつは難事件だぞと言わぬばかりに、唇を嚙んで瞑目していた。
「明智先生、僕の予感が当たったのです。あれはたしかに前兆だったのです。あいつはやっぱり僕の眼を狙いました。右の眼を狙いました。映画の通りでした。僕のいつかの夢とそっくりでした」
 一郎が静かな調子で、独り言のように言いながら、パッチリと左の眼をひらいた。そして、痛々しそうに領いてみせる明智の顔をじっと見ていたが、ふと視線をそのうしろの壁に注いだ。
 すると、彼はビックリしたように、二、一二度烈しく瞬いたが、そのまま視線が釘づけになってしまった。力なくうるんでいた眼が、異様な輝きを放ち、みるみる大きく見ひらかれて行った。
「あれ、あれは、なんでしょう」
 おびえた声で言いながら、その壁の上部を指さした。
 捜査課長と探偵とは、思わずうしろを振り返った。
 その壁には小型の額がかかっていた。額の中に一郎の美しい顔が笑っている、引伸ばし写真であった。
 だが、おお、これはどうしたというのだ。その美しい写真の顔の右の眼から、まっ赤な液体が流れ出しているではないか。電燈の光をギラギラ反射しながら、今傷つけられたばかりのように、タラタラと頰を流れ落ちているではないか。
 死物の写真が血を流すはずはない。しかし血はまさしく流れているのだ。生々しい液体が糸を引いてしたたり落ちているのだ。
「おお、血です。右の眼から血が流れている。あいつだ。あいつが失敗を悟って、もう一度こんな眼にあわせてやるぞと、僕に知らせているのです」

201603.jpg

 一郎はベッドの上に半身を起こして、悲鳴のような叫び声を立てた。その叫び声のなんともいえぬ恐ろしきに、明智も北森警部も、思わずゾッとして顔を見合わせたほどであった。
 明智はいきなりその写真の前に近づいて、眼の下に流れている血潮に指を触れてみた。
「血じゃない。赤い絵の具だ。だが、いつの間にこんないたずらをしたのだろう」
 悪魔は透き通った気体のようなからだを持っていたのであろうか。いつの間にこの部屋に忍び込み、こんなお芝居気たっぷりないたずらをしたのであろう。絵の具はまだ乾きもやらず、タラタラと写真の上に糸を引いて流れていたのだ。
 えたいの知れぬ犯人の、この傍若無人の振舞いには、さすがの名探偵も、捜査課長も、度胆を抜かれたように顔見合わすばかりであった。
 再び大がかりな家探しがはじまった。天井から、縁の下から、庭園の樹木の茂みまで、残るところなく捜索されたが、やはり怪しい人影はどこにも発見されなかった。



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posted by じん at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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