2016年06月04日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第五回 妖雲」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第五回目をお届けいたします。今回はロイド目がねで変装する明智小五郎の登場です。「三角に刈り込んだ顎ひげ」はわかりますが、モジャモジャの頭はどうしたのかしらん。


 イラストではポマードで整髪したような頭髪になっています。日本のポマードは大正九年から製造販売されたそうで、昭和の初期に流行したそうです。変装用に使っていても不思議ではないですね。
 もっとも明智小五郎のモジャモジャ頭が天然パーマだったら、ポマードで事足りるのかしらん。そうするとカツラかなぁ。



   暗黒星 第五回 妖雲

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 犯人は一郎青年を傷つけたばかりで満足するものでないことは、よくわかっていた。もう一度ほんとうに眼をえぐりたいのだ。心臓を刺して息の根を止めたいのだ。
 孤独を愛する奇人伊志田氏も、この恐怖には抗しかねたとみえ、邸内には俄かに屈強な書生の数がふえた。一人であった書生が五人に増した。腕に覚えの猛者どもが、狩り集められたのだ。その中には北森課長が推薦した刑事上がりの壮年者も二人までまじっていた。
 三日間が何事もなく経過した。さすがに怪物も厳重な警戒におびえたのか、ついに姿を現わさなかった。その四日目の夜のことである。一郎青年の病室にはただ一人、ロイド目がねと三角に刈り込んだ顎ひげの目立つ医師が、負傷者の見とりをしていた。
「ウフフフフ、どう考えてもおかしいですよ。僕はまさかあなたにこんな看病をしていただこうとは、夢にも思いませんでした」
 ベッドに横たわった一郎青年は、傷の経過もわるくないと見えて、元気な様子でクスクス笑いながら、ロイド目がねの医師を見上げるのであった。
「僕だって、こんなまねははじめてだよ。変装というようなことは好きじゃないのだが、君があんなに頼むものだからつい負けてしまったんだよ」
 医師もにこやかに笑って、青年の美しい顔を覗きこむようにした。
「でも、僕は安心ですよ。先生がいつも僕のそばについていてくださるんですもの。もうあいつがきたって平気ですよ」
 三角ひげの医師は名探偵明智小五郎の変装姿であった。一郎青年と主人伊志田氏とのたっての頼みを拒みかね、主治医の友人というふれ込みで、有本医師と名乗って、一郎の看病と護衛のために、当分、邸内に泊まり込むことになったのである。その秘密を知っているのは、当の一郎青年と伊志田氏と主治医の三人だけで、他の家族や召使いたちは明智をほんとうの医師と思いこんでいた。明智は変装嫌いではあったが、決して変装下手ではなかったからだ。
 明智は負傷者一郎青年に、異様に惹きつけられていた。最初彼が探偵事務所を訪ねてきた時から、そのたぐい稀なる美貌と、陰火のような押し殺された情熱が、探偵の心を打った。嫌いな変装までして、伊志田邸に泊まり込むことになったのも、この美青年の不思議な牽引力によるものであった。
 しかし、探偵がこの異例な挙に出でたのは、ただそれのみのためではなかった。彼は風変りな伊志田家そのものに妙な興味を抱いていた。この古風な西洋館の中には、何かしら廃頽的な、まがまがしい匂いが満ちていた。犯罪は外部からではなく、むしろ内部から発生しそうな、一つの別世界が感じられた。
「一郎君、だいぶ気分がよさそうだね。少し質問してもさしっかえないかね」
 明智の有本医師は、改まった調子になって、やさしく訊ねた。
「ええ、僕も先生に聞いてほしいことがあるんです。お訊ねになりたいというのは、もしや僕の家庭のことではありませんか」
「そうだよ、僕はあの事件が起こった時から、それを一度よく聞きたいと思っていたのだ」
「じやあ、先生は、今度のことは、僕の家庭の内部に、何か原因があるとでもお考えなのですか」
 美青年は異常にするどい神経を持っているように見えた。話し相手の言おうとしていることを、みな先廻りして言ってしまうようなところがあった。
「必ずしもそういうわけではないがね。しかし、二応君のご両親や姉妹のことを聞いておきたいのだ」
 明智は乗り出している負傷者の背中へ、ソッと毛布をかけてやった。
「僕の家庭を妙にお思いになるのでしょう。こんな化物屋敷みたいな西洋館に住んで、皆が何もしないでブラブラ遊んでいるのですからね。でも、僕の父がどういう人だかは、世間の噂でご存知でしょう。人嫌いの変人なんです。どのくらいあるのかよく知りませんが、僕らはお金持ちだと言われています。ですから、こんなわがままな、風変りな生活もできるのですね。
 先生は、僕らの親子兄妹の関係が、どんなふうだかということをお聞きになりたいのでしょう。父は、僕の知っている限りでは、僕ら三人の兄妹のほんとうの父です。しかし母は違うのです。僕なんかと似ていないでしょう。僕ら三人とも今のお母さまの子ではないのです。僕たちのほんとうの母は、八年前になくなったのですよ」
「で、君たち三人の兄妹は皆その先のお母さんの子なの?」
「そうです。僕の知っている限りでは、そうです。しかし、僕たち三人は顔も気質も少しも似てないでしょう。まるでみんな別々の母のお腹から生れてきたようじゃありませんか」
 一郎の口辺に嘲笑の影のようなものが浮かんだ。
「何かそんな疑いでもあるの?」
「別に何もありません。でも、父はそういうことはまるで非常識なんです。どんな秘密があるかしれたものではありません。なくなったお母さんは、気の毒な人だったのです」
「それで、今のお母さんと、君たちとはうまく行っているの?」
「ええ、表向きは円満です。しかし、みんなの心の中はわかりません。ほんとうは誰も彼も憎み合っているのかもしれません。僕たち兄妹だって、決して仲がよくはないのです。先生、こんな家庭っであるでしょうか。上べはみな親しそうにしていて、腹の中では、何を考えているかわからないのです。まるで化物屋敷です。僕たちはみんな、世間の人とは違うのです。まったく別の生きものみたいな気がします。
 先生、僕の思っていること言ってもいいでしょうか。先生、僕怖いんです。それを言うのが恐ろしいのです」
「いいよ。言わなくてもいいよ。そんなこと考えるもんじゃない。君はあんなことがあったので、興奮しているんだ。ありもしない幻を描いているんだ」
 明智がなだめるように言うのを、一郎は押し切って、ついにそのことに触れてしまった。
「あいつは、ほんとうに外部からやってきたのでしょうか。先生、もしかしたら、あいつはこの家の中に住んでいるのじゃないでしょうか。僕らのよく知っている誰かじゃないでしょうか」
 半面を繃帯に包んだ美青年の顔が、恐ろしいほどまっ青になっていた。毛布の中から出ている華奢な手首が、熱病やみのようにブルブル震えていた。
「探偵というものは、そういうことも一応は疑がってみなくてはならない。僕は今あらゆるものを疑がっている。君の家庭内の人たちだって決して例外ではないのだ。しかし、僕はまだ何も掴んでいない。安心したまえ、まさかそんなことはないだろうと思うよ」
 明智の有本医師は強いて鈍感を装いながら、一郎青年をなぐさめようとした。
「ああ、やっぱりそうなんですね。先生も僕たち一家の誰かを疑がっていらっしゃるのですね。誰です。それはいったい誰です」
 一郎の顔は興奮のあまり泣き出しそうにゆがんで見えた。
「ばかな、僕がいつそんなことを言った。取り越し苦労もいい加減にしたまえ、さあ、一と眠りするんだ。そして、もっと明かるい気持になるんだ。睡眠剤を上げようか」
 名探偵はまるで看護婦のようにやさしかった。一郎の毛布の肩の辺に手を置いて、母親のように子守歌でも歌い出しそうな様子に見えた。有本医師の一挙一動には、美しい負傷者へのこまやかな愛情が満ちあふれていた。



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posted by じん at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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