2016年06月15日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十一回 名探偵の盲点」を掲載

 『江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第十一回目をお届けいたします。


 前々回に紹介した江戸川乱歩の「透明の恐怖」ですが、その中で乱歩は探偵小説の由来として

探偵小説の起こりは、ホレース・ウォールポールの「オトラント城」にはじまるゴシック怪談文学が、エドガー・ポーの数学的論理的頭脳を通って、変形したものだと云われている。

と書いています。もともとは怪談があって、それを理知的に解決しようとする物語が探偵小説の起こりだとというわけです。そういう意味では「暗黒星」は事件は怪談風のシチュエーションで起こり、読者に恐怖を募らせていくという手法をとっています。それを名探偵明智小五郎が快刀乱麻の如く解決するというものです。「名探偵の盲点」では怪事件の解決の糸口を摑んだ様が描かれています。

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   暗黒星 第十一回 名探偵の盲点


「ああ、君はそこまで考えていたのか」
 明智は驚いたように美しい青年の顔を見つめた。
「むろん、そういう場合も考えられないではない。しかし僕はそういうことを考える前に、まだ一つ、この謎を解くいとぐちが残っていると思うのだよ。それはね、この犯罪には共犯者がなかったかということだ。いや、共犯者というよりも、一人のうら若い女性を人形として、心にもない行動を取らせた、恐るべき蔭の人物が存在するのではないかということだ。
 綾子さんは塔の頂上から、屋敷のそとの誰かに、懐中電燈の合図をした。あれはただ一と晩のことではなくて、その前にも、その後にも、人知れず同じ合図を繰り返していたかもしれない。その合図を受けていたのはいったい何者だろう。
 僕は犯人の断定をくだす前に、先ずこの秘密を探らなければならないと思うのだよ」
「ああ、そうでした。僕は塔の出来事を知らなかったので、そこまで気がつきませんでしたが、先ずそれを確かめてみなければなりませんね」
 一郎は、少しでも姉の罪の軽くなることを願うかのように、やや明かるい表情になっていうのであった。
「むろん僕は塔の出来事があってから、君のうちに泊まっていた三日のあいだ、毎晩それに注意していたが、三日間は何事もなかった。
 それからここへ入院して、二日ほど何を考える力もなかったが、おととい、そのことを思い出して、助手のものに、毎晩君のうちをそとから見張らせであるのだよ。もし塔の窓に合図の光を見たら、その受信者を探し出すようにね」
「そうでしたか。こんなおからだで、そこまで気を配っていてくださるとは思いもよりませんでした」
 一郎は驚きの色さえ見せて、名探偵の周到な用意を感謝するのであった。
「あいつがなぜ僕を撃ったか。むろん追いつめられた苦しまぎれでもあったのだが、一つは、僕が君のうちに泊まり込んでいては、思うように行動できないので、しばらく僕を遠ざけるためではないかと思うのだよ。
 あいつは決してへマをやらないやつだ。僕を殺そうと思えば充分殺せたのだ。それをわざと急所をさけて、ここを撃ったのは、僕はあいつの殺人予定表にはいっていなかったからだと思うよ。
 そうして僕を遠ざけておいて、そのあいだに、あいつはすっかり予定の行動を終るつもりかもしれない。だから、僕はこうしていても気が気ではないのだよ。
 君も充分身辺に注意していてくれたまえ。あいつは決して君を殺すことを諦めたわけじゃないのだからね。
 お父さんやおばあさんにも気をつけて上げなけりゃいけない。夜の見張りは大丈夫だろうね」
「ええ、鞠子のことがあったので、北森さんのお計らいで又うちの警戒が厳重になったようです。
 僕はあんな無気味なうちにいるよりも、いっそ転宅した方がよくはないかと、父に勧めたのですけれど、父は母の敵を捉えるまで、意地にもこのうちに頑張っているんだといって、聞かないのです」
「ウン、転宅するのも一案だが、あいつにかかっては、たとえ住まいを変えてみたって同じことかもしれない。何よりも警戒が大事だよ。そして、さし当たっては、綾子さんの行動によく注意することだ。また塔の中へはいるようなことがあったら、決して見逃がさないようにしてくれたまえ」
 明智はまだ傷口が癒えていなかったし、食慾も進まず、体力も衰えていたので、これ以上の会話は苦痛らしく見えた。それに、ちょうどその時、遠ざけてあった看護婦がはいってきたので、一郎はそれをしおに暇をつげることにした。
「それじゃお大事に」
「ウン、君もよく気をつけてね」
 一郎はベッドの明智の顔の上にかがみ込むようにして、親しげに挨拶した。その様子には事件の依頼者と探偵との関係ではなくて、何かしら父と子、或いは兄と弟のようなうちとけたものが感じられた。
 一郎が立ち去ると、明智は楽な姿勢に寝返りをして、一とこと二たこと看護婦に口をきいたが、そのまま眼をふさいでしまった。眠ったのではなくて、何か深い考えに沈んでいる様子である。
 若い看護婦は所在なく椅子にかけ雑誌を読み、明智は仰臥して瞑目したまま、春の日の三十分ほどが、深い沈黙のうちに流れていった。
「あっ。そうだ。あれがおれの盲点にかかっていたんだ」うわごと突知として、ベッドの明智の口から、譫言のような叫び声が漏れた。
「まあ、どうなすったのです。夢をごらんになったの?」看護婦がびっくりして精椅子を立ち、ベッドのそばへ寄って来た。
「ヤ、失敬々々、なあに、夢じゃないのだよ。考えごとをしていたのさ。そしてね、大発見をしたものだから、つい口に出してしまったのさ」
「あら、そうでしたの? でも、あまり考えごとなすっちゃ、おからだにさわりますわ。少しお寝りになっては……」
 看護婦はむろん明智の盛名を聞き知っていた。「フフフフフ、とても寝られないよ。考えごとは僕の恋人なんだからね。今すばらしい恋人を発見したというわけなんだよ。
 君はいろいろな人の家庭を見ているんだから、この世の裏に通じているはずだね。裏ってもの、面白いとは思わないかい。殊に僕の仕事ではね、その裏にまた裏があるんだよ。そのもう一つ奥の裏だつであるんだよ。ははははは」
 明智はモジャモジャ頭を、無事な方の手で、乱暴に引っかきまわしながら、有頂天の有様であった。青白い顔が桃色に紅潮して、眼がキラキラとかがやいていた。
 明智ほどの人物をこんなに興奮させる発見とは、そもそも何事であったのか。むろん伊志田家の犯罪についてであろうが、いま一郎と論じつくしたばかりのその事件に、いったいどんな新解釈が可能であったのか。
「君、すぐ電話をかけてくれないか。いや、僕のうちじゃないよ。麻布のね、二七一○番、有明荘というアパートだ。そこの越野という人を呼び出してね、僕からだといって、すぐここへくるように頼んでくれたまえ。わかったかい。越野というのは、僕の仕事の手伝いをしてくれる男なんだよ」
 看護婦ははしゃぎきっている明智の様子に面喰いながら、電話番号を暗記して、部屋を出て行った。「ああ、おれはなぜそこへ気がつかなかったのだろう。外形にまどわされていたんだ。非常な失策だ。殺さなくてもいい人を殺してしまった。だが、越野にうまくやれるかしら。おれが動けるといいんだが、このからだではとても外出は許されないし」
 明智はさももどかしげに、一そう乱暴に髪の毛をかきまわしながら、声に出して独り言をいうのであった。


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posted by じん at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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