2016年06月16日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十二回 第三の銃声」を掲載

 『江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第十二回目をお届けいたします。


 今回から小林少年登場です。明智小五郎が三十代でも五十代でも、いつまでたっても小林少年ですね。



   暗黒星 第十二回 第三の銃声


 お話はその翌日の夜更け、伊志田邸の塀外に移る。それまでは、同邸には別段の異変も起こっていなかった。だが、その夜、又しても新らしい怪事件が突発したのである。
 伊志田屋敷の裏手には、建物を取毀したまま永いあいだ空地になっている原っぱがあった。夜更けの十一時、闇の原っぱの立木の茂みの蔭に、人の息遣いが聞こえた。
 おとなではない。鳥打帽子に紺の詰襟を着た十五、六歳の可愛らしい少年である。木陰に身を隠して、何かを待っている様子だ。時々立ち上がって、背伸びをして、伊志田邸の例の三階の円塔のあたりを、じっと見つめている。
 この少年は明智探偵の助手の小林|芳雄であった。子供とはいえ、これまでにも明智を助けて、いろいろの手柄を立てた名助手である。病院で明智が伊志田一郎に、塔の合図の見張りをさせてあると語ったのは、この小林少年のことであった。
 小林はきのうもおとといも、同じ場所に宵から夜明けまで辛抱強い見張りをつづけていた。だが、円塔の窓にはいつこうそれらしい光も見えないのであった。
「今夜もむだな見張りをするのかしら。ああ、早く合図の光が現われてくれればいいのに」
 暖かい春の夜、野外に夜を明かすのもさして苦痛ではなかったが、ちゃんと昼寝がしてあるのに、何事も起こらない退屈のあまり、ともすれば眠気がきざすのであった。
 だが、その夜は睡魔に襲われなくてすんだ。夜光時計のちょうど十一時、ついに円塔に光りものがしたのである。
「おやっ、あれだなっ」
 眼をこらせば、闇夜にひときわ黒く聳え立った円塔の上部、三階の窓とおぼしきあたりに、チラチラと消えては光る電光があった。その点滅の仕方が確かに信号である。
 あの信号は誰に向かって送られているのか。それを探り出すのが小林少年の役目なのだ。
 彼は広っぱの方に向きなおって、闇の彼方をキョロキョロと探し求めた。
 すると、おお、見つけたぞ。広っぱの左手の隅の一軒の家の前に、やはり懐中電燈とおぼしき光が、チカチカと点滅しているではないか。
 円塔の光と、広っぱの光とは、しばらくのあいだ、相呼応して、チカチカと瞬きを送り合っていたが、やがて、パッタリとそれが消えてしまった。
 小林少年は、闇の中から、じっと双方の光り物を観察していたが、両方とも「信号終り」という調子で消えてしまったので、今こそとばかり、原つぱの隅の家の方へ歩き出した。相手に見とがめられては大変なので、闇とはいえ、身をかがめ、地物を伝うようにして、ソロソロとその方へ近づいて行った。
 ところが、そうして二十歩ほども歩いた時である。突然、行く手の闇の中に、ボーッと人の姿が浮き上がってきた。誰かがこちらへ歩いてくるのだ。ひょっとしたら、電光信号を取りかわしていたやつかもしれない。こいつこそ、綾子さんの背後に潜む邪悪の張本人かもしれない。
 ハッと身を伏せて窺っていると、相手は小林少年には気づかなかった様子で、急ぎ足に伊志田屋敷の方へ歩いて行く。
 身を伏せているつい二、三間先を通り過ぎたので、夜目ながら、その姿をおぼろに認めることができた。それはスラッと背の高い、若い男であった。背広服を着て、ソフト帽をかぶっていた。顔はよく見分けられなかったけれど、目がねはかけていないし、口ひげもなく、なんとなくノッペリした青年のように感じられた。
 見ていると、その青年は、原っぱに捨ててあった毀れかかった荷造り用の木箱を拾い上げて、それを伊志田家の煉瓦塀の下に運んで行った。そして、その木箱を踏み台にして、高い煉瓦塀に飛びつき、モガモガと足を動かしていたかと思うと、とうとう塀の頂上に登りついてしまった。


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「さては、あいつ、塀を越して邸内へ忍び込むつもりだな」
 小林少年は胸をドキドキさせて、その様子を見つめていたが、やがて、青年の姿が塀の中へ消えてしまうと、さて、どうしたものかとためらった。表門に廻って邸内の人にこの事を知らせるのも一策だ。また、そのまま青年の跡を追って塀の中へ忍び込み、彼が何をするかを見届けるのも一策だ。
 やがて、小林少年は後の方の策をえらぶことにきめた。明智探偵の日頃の教訓に、怪しい人物が現われたら、急いで騒ぎ立てないで、そいつが何をするかをよく観察するがいい、という一カ条があったのを思い出したからである。
 そこで、少年はやはり同じ木箱を踏み台にして、塀に飛びつき、機械体操の仕ぐさでなんなく頂上に登った。頂上に腹這いになって、庭を見おろすと、十間ほど向こうの木の下を、あの青年が背を丸めて忍んで行くのが見えた。
 小林は塀の内側へぶら下がって、音を立てないように注意しながら、邸内に降り立った。そして、やはり木蔭を伝いながら、五、六間の隔たりをおいて、怪青年のあとを追った。
 しばらく行くと、眼の前にまっ黒な大入道のような円塔が現われた。青年はその円塔に向かって歩いて行く。眼をそらして塔を見ると、その一階の窓にボンヤリと白いものがうごめいていた。人の姿だ。どうやら女らしい。
「さては、あれが綾子さんだな。あすこで男のくるのを待っていたんだな」
 少年はさかしくも領きながら、なるべく塔に近い木の茂みをえらんで、身を隠し、じっと監視をつづけた。
 青年はもうその窓の下に立っていた。かすかにささやきかわす声が聞こえてくる。むろんその意味はわからないけれど、白い人影は窓框によりかかり、青年は背伸びをして、何かヒソヒソと話し合っていた。
 二たこと三こと話し合って、しばらく声がとぎれたが、その次に聞こえてきたのは、今までとは違って、低いながらも妙に烈しい口調であった。
「おやっ、畜生っ」
 ハッキリわからないが、なんだかそんなふうに聞きとれた。
 そして、その次の瞬間、小林少年はいきなり脳天をうちのめされたような衝撃を感じた。
 突知として、どこからか銃声のような恐ろしい音が響いたのである。ハッとして、あたりを見まわしたが、別に怪しい人影もない。ただ、窓のそとの青年がクナクナと地上にくずおれて行くのが眺められた。
 小林少年は何がなんだかわけがわからなかった。暗さは暗し、青年が倒れたように思ったのも、気のせいかもしれない。ただうずくまっているのかもしれない。
 窓の中の人はと見ると、なぜかもう姿が見えなかった。ひっそりと静まって、ささやき声も聞こえなければ、物の動くけはいもない。
 小林は不審のあまり、大胆にも隠れ場所からソロソロと這い出して、耳をすましながら、窓の下へ近づいて行った。
 すぐ眼の前に妙な恰好で倒れている青年の姿が見えた。死んだようにだまり込んで、身動きもしない。
 思い切ってそのそばに這い寄り、洋服の腕にさわってみたが、なんの反応も示さない。腕から胸へと手を伸ばして行くと、たちまち生温い液体を感じた。
 ハッとして、手をひいて、手についた液体の匂いをかいでみると、それはまぎれもない血の匂いであった。青年は胸を撃たれて息絶えていたのである。
 小林少年はもう何を考える余裕もなく、その辺をウロウロと駆けまわりながら、いきなり大声を立てた。邸内の人々に変事を知らせるための、かん高いわめき声を立てた。



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posted by じん at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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