2016年06月18日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十三回 謎又謎」を掲載

 『江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第十三回目をお届けいたします。またまた新たなる犠牲者が……。被害者は伊志田に関わる者なのか。そして犯人は同一犯なのか。事件は新しい局面に向います。


 『江戸川乱歩 作品集』は次回のアップデートはこの「暗黒星」と「月と手袋」、そしていくつかのエッセイなどを追加する予定です。ルヴェル、ポー、マッケン、ジョン・コリアなどについて語ったエッセイなどを予定しています。


   暗黒星 第十三回 謎又謎


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「誰かいませんか。早くきてください。大変です」
 叫んでいると、やがて、母屋の窓にパッと光がさして、どこかの戸のひらく音がしたかと思うと、二、三人の足音があわただしく近づいてきた。先頭に立つ一人が懐中電燈を振り照らしている。屈強な書生たちだ。
「どうしたんだ。おい、君はいったい誰だ。こんなところで何をしているんだ」
 刑事上がりの中年の一人が、小林少年を怪しんでどなりつけた。
「それはあとで言います。それよりも、この人が撃たれたんです。傷をしらべてください」
「えっ、撃たれた? じゃあ、今のはやっぱりピストルの音だったのか。おやつ、これは誰だ。見たこともない青年だが、どうしてここへはいってきたんだろう」
 懐中電燈をさしつけて、調べてみると、心臓のあたりを撃たれていて、素人目にも、もう手のほどこしょうがないことがわかった。
 そこへ主人の伊志田氏も、手提げ電燈を持って飛び出してきた。
「御主人、この青年をご存知ですか」
 刑事上がりの男に訊ねられて、伊志田氏は死体を入念に観察していたが、
「いや、知らん。見たこともない男だ」
 と、不思議そうに答えた。
「この子供が知らせてくれたのですが、この子供もご存知ありませんか」
「フーン、これはいったい、どうしたことだ。君はどこからはいってきたんだ。この男の仲間なのかね」
 伊志田氏は二人を夜盗とでも考えたらしい口振りであった。
「いいえ、僕は明智探偵事務所のものです。小林っていうんです」
 小林少年は、伊志田氏の手提け電燈の光の中に顔をさし出して、不服らしく答えた。
「え、明智さんの? ウン、少年助手がいるということは聞いていた。だが、君がどうしてここにいるんだね。そして、いったいこの男はどうしたんだ」
 伊志田氏はまだ不審がはれなかった。
 小林はそこで、塀そとの見張りからの一部始終を手早く説明した。
「フーン、それじゃ、この塔の上から懐中電燈で合図をしたものがあるというんだね……おい、君、一郎と綾子を呼んでくれたまえ。今応接間の方へ帰るから、そこで待っているようにいうんだよ」
 書生の一人が駆け出して行ったが、しばらくすると息せき切って帰ってきた。
 一郎さんもお嬢さんも、どこを探してもいらっしゃいません。ベッドは空っぽなんです。女中たちも知らないっていうんです」
「何を言っているんだ。そんなばかなことがあるもんか。それじゃ、ここは誰か一人見張り番に残って、みんな部屋へ引き上げよう。そして、警察に電話をかけるんだ。それから、一郎や綾子をもっとよく探すんだ。さあ、小林君も一緒に来たまえ」
 伊志田氏は何かイライラした調子で言って、先に立って母屋の方へ歩き出した。それから時ならぬ家捜しがはじまった。応接間で伊志田氏が小林少年になお詳しいことを質問しているあいだに、四人の書生と女中たちとが手分けをして、母屋はもちろん、円塔の中から、湯殿や手洗所まで探しまわったが、不思議なことに一郎と綾子の姿はどこにも発見されなかった。
 間もなく所轄警察署から係り官がやってくる。引きつづいて警視庁の北森捜査課長が部下の刑事を伴って到着する、深夜の伊志田屋敷は、部屋という部屋に煌々と電燈が点じられ、庭には懐中電燈の光が交錯して、物々しい光景を呈した。
 警察医の検診によって、怪青年は心臓を直射されて即死していることが確かめられ、屍体は一応邸内の空き部屋に移された。
 一郎と綾子の行方は依然として、まったく不明であった。ピストルは塔の中から発射されたらしいという小林少年の証言によって、塔の内部が綿密に捜索されたが、なんの手掛りも発見できなかった。
 北森課長は書生や女中を一室に集めて、厳重な取調べを行なった。一郎と綾子とが外出するのを見かけたものはないか、二人の寝室に何か怪しい物音でもしなかったかということを、雇い人たちの一人々々に当たって、入念に質問したが、誰もはっきりした答えのできるものはなかった。
 二人の寝室には別に取り乱した跡もないし、玄関のドアはちゃんと内側からしまりがしてあった。しいて想像すれば、二人は窓から庭に出て、煉瓦塀をのり越して外出したとでも考えるほかはないのだが、一郎にしても綾子にしても、そんなばかなまねをするはずがなかった。
 一方、怪青年の身元については、小林少年の証言によって、北森課長の部下の二人の刑事が、深夜ながら、伊志田邸裏の空地に面した小住宅を訪ねまわった結果、案外たやすく、彼の自宅をつき止めることができた。
 彼は付近の印刷工場の会計係を勤めている荒川庄太郎という二十五歳の青年で、年取った父母と三人でみすぼらしい長屋住いをしていた。五十歳にあまる父親は同じ工場の職工であった。
 父も母も倅の奇怪な行為については、まったく何も知らぬ様子であった。庄太郎は不良青年というほどではなかったが、どこか風変りなところがあって、時々勤め先を休んでフラッとどこかへ遊びに行くことがあり、また夜遅く外出することも珍らしくなかったという。家にいる時は本ばかり読んでいて、悪友というようなものもなく、これまで悪い噂も立てられたことはないということであった。庄太郎の部屋の本箱を覗いてみると、主としてフランス物の翻訳文学書がギッシリ詰まっていた。いわゆる文学青年型の男らしいのである。
 結局その夜は、怪青年の身元がわかったほかには、これという発見もなく、翌日あらためて捜査を開始することにして、北森課長をはじめ、一同はうやむやのうちに引き上げることになったが、事件はいよいよ奇怪な相貌を呈してきた。塔上から懐中電燈の合図をしたのは、おそらく綾子であろうが、その合図が何を意味したのか。怪青年荒川はなんの目的で邸内に忍び込んだのか、彼を撃ったのは果たして綾子であろうか、だが青年が綾子の共犯者とすれば、なぜ彼女は共犯者を無きものにしなければならなかったのか。
 もし綾子が荒川を撃ったとすれば、彼女が行方をくらました理由はわかるが、しかし、若い女の身でいったいどこへ身を隠したのであろう。それよりも不思議なのは、一郎青年の行方不明であった。彼は綾子の犯行を知り、姉に同情の余り、運命を共にして家出を決行したのであろうか。だが、それは日頃の一郎の性格からはなんとなく信じがたい行動ではないか。



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posted by じん at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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