2016年06月26日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十五回 綾子の行方」を掲載

『江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「暗黒星」の第十五回目をお届けいたします。『江戸川乱歩 作品集 決定版 全116作品+11』では、作品を追加すると同時に、乱歩の自作解説」も明記しました。

 乱歩の全集はいろいろなところから発行されていて、乱歩自身が書いたものを作者解説、自注自解、自作解説などとして書籍には記載されている事があります。文庫本でも掲載されているものとされていないものがあります。光文社文庫の江戸川乱歩全集にはたいてい掲載されていますが、角川文庫には掲載されていません。青空文庫にアップされた作品にも自作解説は載らないと思われるので、これらを積極的に掲載する事にしました。

 たとえば「月と手袋」には二つの自作解説が掲載されています。

河出書房版『探偵小説名作全集1」の「解説」より
桃源社版「江戸川乱歩全集」の「あとがき」より

の二つです。内容は似たような感じですが、書かれた時期が異なるので、多少は切り口が異なっています。作品の背景を知る上では読んでおきたいものではないでしょうか。自作解説は作品の最後に掲載してあります。

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 もっとも威張っていえるほど、自作解説を集めてはいないのですが、これらを収録するとなると、光文社文庫の全集が必要になりそうです。とりうえず手元にある作品は自作解説を収録しています。「黄金仮面」とかは巻頭に作者の言葉があります。そういう場合は、それも収録したいのですが、そうなると道はまだまだ長そうです。


   暗黒星 第十五回 綾子の行方


 ちょうどそのとき、書生がはいってきて、三島刑事に北森捜査課長から電話がかかってきたことを告げたので、刑事は中座して電話室へ立って行ったが、間もなく、明かるい顔になって戻ってきた。
「やっぱり僕の考えた通りでした。自動車が見つかったのですよ」
「えっ、自動車が?」
 伊志田氏と一郎青年とが、ほとんど同時に、叫ぶように聞き返した。
「そうです。うまいぐあいに、向こうから名乗って出たやつがあるのです。ゆうべの事件が夕刊に出たのを見て、たったいま警視庁へ訴えてきた運転手があるんだそうです。
 その運転手をここへよこしてもらうことにしました。警官がつき添って、すぐそちらへ行くからということでした」
「綾子を乗せたというんですか」
「ええ、それらしい洋装の若い女をこの付近で乗せたというんだそうです。服装もよく合っていますし、時間もちょうど十一時少し過ぎだったというのです」
「犯人に連れられていたのですか」
「それが妙なんです。その女は一人きりで、誰も連れてはいなかったと言っているのです。この点が少し腑に落ちませんが、しかし、ほかのことはよく符合しています」
「で、どこへ行ったのです。行く先は?」
「芝の高輪の辺だというのですが、運転手も町の名を知らないのです。もう一度行ってみればわかるだろうというのだそうです。その女は、どこへとも言わないで、ただ品川の方角へ走ってくれと命じて、高輪辺で、突然車を止めさせると、ここでいいからといって降りてしまったのだそうです。
 その運転手は自分の自動車に乗って警視庁へ出頭しているというので、それじゃ、一度ここへきてもらって、われわれがその車に乗って、ゆうべ通った道をもう一度走らせてみようということになったのです」
 伊志田氏父子にとって、それは吉報というよりは、むしろ凶報のように感じられた。綾子がただ一人で自動車に乗ったとすれば、想像していたような誘拐ではなく、自由意志と見るほかはなく、したがって彼女は逃亡したということになるからであった。
 ああ、やっぱり綾子は恐ろしい罪を犯していたのであろうか。その罪の発覚を恐れて身を隠す決心をしたのであろうか。
 伊志田氏と一郎とは、それを口に出して言うことはできなかったが、不安に耐えかねて、青ざめた顔を見かわすのであった。
 それから三十分ほどのち、その運転手が、自分の車に監視の警官を乗せて、伊志田邸に到着した。
 三島刑事は運転手を応接間に呼び入れ、伊志田氏に綾子の写真を借りて、それを見せると、
「その娘さんはなんだか顔を隠すようにしていたので、はっきりしたことは言えないけれど、この人とよく似ていたように思う」
 との答えであった。なおいろいろ質問したが、電話で聞いていた以外には、これという新らしい申し立てもなかった。
 そこで、二人の刑事は、伊志田氏に暇を告げ、監視の警官と共にその自動車に乗って、綾子らしい女の下車した場所を確かめるために出発した。途中別段のこともなく、車は京浜国道を、一直線に走って、高輪を過ぎ品川に近づいていた。
「確かここいらの横町へ曲がったんです。あ、そうだ、あの薬屋の看板に見覚えがあります。あの横町でした」
 運転手は半ば独りごとのように、そんなことを言って、車を横町へ乗り入れたが、ゆるゆると運転して、やや一丁ほども進んだころ、
「ここです。このポストです。ポストを越してすぐ止めよと言われたんです。ちょうどここいらだったと思います」
 町のまん中に車がぴったり止まった。
「で、君はその女がどちらへ行ったか、気がつかなかったのかね」
 三島刑事が訊ねると、運転手は頭をかいて、
「さあ、それがわからないのですよ。なんでもあちらへ歩いて行ったように思うのですが、僕はガレージへ帰る時間が迫って、急いでいたものですから」
「そのころ、この辺の商店はまだ店をあけていたかね」
「おおかた閉めていました。でも、いくらかまだ戸締まりをしない店もあったようです」
「ともかく、降りてみよう。君はここで待っていてくれたまえ」
 三島刑事は同僚の刑事を促して車を降り、その辺の商店をジロジロ眺めながら歩き出した。
「君、女はここで何をしたと思うね。一つ逃亡した娘の気持になって、考えてみようじゃないか」
「友だちの家がこの辺にあるんじゃないでしょうか。それとも宿屋かな」
 若い刑事が小首をひねりながら答えた。
「この辺に宿屋はないよ。友だちの家というのも、なんとなく腑に落ちない。僕はもっと別のことを考えているんだよ。あの娘は何よりも先ず行方をくらまそうとしたに違いないね。それにはどんな素人でも、第一に気づくことがある。
 ああ、ここだ。僕はさっきからこの店を探していたんだよ。あの娘はここへはいったに違いない」
 三島刑事が立ち止まったのは、一軒の古着屋の前であった。さすがに老練な刑事は逃亡者の心理を解していた。逃亡者は何よりも彼自身の服装が気になるのだ。服装さえ変えてしまったら、人眼をくらますことができると考えるのだ。
 刑事はツカツカとその店にはいって、そこに坐っている主人らしい老人に、肩書のある名刺を出した。
「少し訊ねたいことがあるんですが、あなたのところはゆうべ十二時ごろ、まだ店をあけていましたか」
「へえ、その頃まであけていたように思いますが……」
 老主人は商売がら警察の取調べには慣れているので、さして物おじするふうもなく答えた。

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「たぶん十一時半から十二時までのあいだだと思うが、若い女の客はなかったでしょうか。洋装をした二十歳ぐらいのお嬢さん風の娘なんだが」
「ああ、あれですか。お見えになりました。わたくしも、なんだか変だと思いましたが、お客様ですから、お断わりするわけにもいきませんので……」
「その娘は何を買ったのでけ」
「銘仙の袷と帯と、それに襦袢から足袋まで一と揃い売りました」
「ここで着更えをしたのではありませんか」
「いいえ、包みにしてお持ちになりました。仮装会があるんだとかおっしゃいましてね。けさになって、上総屋というこの並びの履物屋さんに聞いたのですが、その娘さんは、手前の店を出てから、その上総屋さんで、草履を一足買って行ったらしうございますよ。
 わたくしも、あとになって、なんだか変だと思っていたところでございます」
 三島刑事の想像は見事に的中した。やっぱり逃亡者は先ず変装のことを考えたのだ。おそらく着物と草履を買い求めた直後、どこかで、公園の闇の中とか、もしくはソバ屋の二階というような場所で、着更えをしたのであろう。
 刑事たちは、古着屋の売ったという着物と帯の柄を手帳に控えて一応自動車に戻ったが、それから先の足取りを確かめるのが、また一と仕事であった。
「さて、着更えをすませた娘さんがどこへ行ったと思うね。僕は今度こそ宿屋だろうと考える。田舎娘か何かに化けて、安宿に泊まったんだね」
 三島刑事は同僚に話しかける形式で、実は自問自答するのであった。
「本来なれば宿屋なんかに泊まらないで、すぐ汽車に乗って高飛びしたいところだが、東京の駅はどこへ行っても、十二時すぎに発車する汽車はない。夜の明けるのを待たなければならぬ。
 夜更けに泊まって怪しまれない宿屋といえば、さしずめ駅前の旅館だ。駅前なれば、翌朝になって汽車に乗るのにも便利なわけだからね。
 そこで、僕は、娘さんが目ざしたのは品川駅だと推察するんだ。ここから品川駅はすぐなんだからね。わざわざここまできて、東京駅や新宿、上野などへ戻るということは、先ず考えられない。高輪の古着屋を選んだのは、ただ品川に近いからなんだ。
 どうだい、この僕の考えは、あの娘さんは品川駅のそばの安宿に泊まったのじゃないのだろうか」
「そうですね。どうもその辺が図星らしいですね」
 若い刑事は先輩の想像力に感服したように合槌を打った。
「じゃ品川だ。駅の近くの旅人宿を片っぱしから調べるんだ。運転手君、迷惑ついでに品川駅までもう一と走りしてくれないか」
「ようござんす。こうなったからには、どこまでもご用をつとめますよ」
 運転手は気さくな男であった。
「ホテルなんかじゃない。あの地味な和服は安ホテルにもしろ、ホテルへ泊まるというがらじゃない。やっぱり日本宿、だ。なるべくみすぼらしい日本宿を探すんだ」
 二人の刑事は品川駅の付近で自動車を降りると、交番の警官に聞き合わせて、次々と旅人宿を調べて行った。品川駅近くには旅館が軒を並べているというわけではないが、しかし、表通り裏通りにチラホラと点在して、十数軒の旅人宿がある。
 尋ね尋ねて十一軒目、とある裏通りの、尾張屋という古風な日本旅館には、玄関をはいらぬ先から、なんとなくそれらしい匂いが感じられた。
 土間に立って名刺を出すと、五十あまりの番頭が、うやうやしく敷台にうずくまった。三島刑事は声を低くして、綾子の人相風体を告げ、ゆうべ遅くそういう娘が泊まらなかったかと訊ねた。
「へえ、そのお方なら、お泊まりでございますが、何か……」
 番頭はニヤニヤ笑って探み手をした。
「えっ、泊まっている? じゃ、まだいるんだね」
 三島刑事は思わず弾む声を押えるのがやっとであった。この喜びは刑事でなくては味わえない。
「へえ、二階でお寝みでございます。お加減が悪いとおっしゃって」
「君、間違いないだろうね。確かにいま言った着物を着ていたかい」
「へえ、着物も帯もおっしゃる通りでございます」
「宿帳は?」
 老番頭がさし出す宿帳には、なんだか筆蹟を隠したようなぎこちない字で、
 
  静岡県三島町宮川町五六、井上ふみ、二十歳
 
としるしてあった。
「寝ているんだね」
「へえ」
「それじゃ、一つその部屋へ案内してくれないか。少し調べたいことがあるんだ」
「へえ、それではどうぞ」
 老番頭はすこしもためらわず、みずから案内に立った。二人の刑事は、靴をぬいで、足音を忍ばせるようにして、黒光りのする広い階段を、番頭のうしろから上がって行った。




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posted by じん at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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