2016年07月02日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十七回 最後の犯罪」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録した「暗黒星」の第十七回目をお届けいたします。「最後の犯罪」ということで、物語は最後の山場に向っていきます。明智小五郎に嵌められた犯人の正体は……。

 
 明智小五郎シリーズはけっこう収録されていないのですが、次回はやはり「黄金仮面」しようかと思っています。もっとも出来上がるのは何時になるのかわかりませんけどね。ところで、ルパン三世の峰不二子はやはり大島不二子からの連想だと思いますね。モンキー・パンチは否定しているそうですが、頭の隅にその名前が残っていたに違いありません。



   暗黒星 第十七回 最後の犯罪


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 さて、その翌朝八時頃のことである。
 伊志田氏の寝室の前の廊下に、一脚の肘掛椅子が置かれ、そこに書生の中では最年長者の刑事上がりの男が、グッタリと腰かけて、正体もなく眠っていた。
 彼は徹夜して主人の部屋を守護する役目であったが、それがまるで酒にでも酔いつぶれたように、鼾さえかいて眠っているというのは、なんとも変なことであった。
 そこで階段に足音がして、別の書生が、交代のためにやってきたが、一と眼そのありさまを見ると、びっくりして肘掛椅子に駆け寄った。
「おい、どうしたんだ。起きたまえ。もう八時だよ」
 肩を小突かれて、年長の書生は何かわけのわからないことをムニャムニャ言いながら、眼をひらいた。
「おい、しっかりしたまえ。何を寝ぼけているんだ。ゆうべは別状なかったのかい」
 なおも小突きまわすと、やっと正気づいたらしく、
「おや、朝だね。いつの間に眠ったんだろう。変だなあ」
 寝言のようにつぶやくのを、一方はたしなめるようにどなりつける。
「おい、君、大丈夫かい。ご主人は別状ないのか」
「変だな。頭がズキズキ痛むんだ。どうしたんだろう。君すまないが、ご主人の様子を見てくれ。なんだか、おかしなあんばいなんだ」
 これは唯事でないと感じたので、あとからきた書生は、いきなり主人の部屋のドアをノックして、ソッとそれをひらいてみた。
「おい、ベッドは空っぽだぜ」
「えっ、ご主人がいないのか」
 フラフラと立ち上がって、部屋の中へはいってみたが、伊志田氏の姿はどこにも見えなかった。
 騒ぎを聞きつけて、ほかの書生や刑事なども集まってきた。一同で手分けをして、書斎その他の主人のいそうな部屋々々、手洗所から湯殿まで探しまわったが、伊志田氏はまるで神隠しにされたように、どこにも姿を見せないのであった。
 ところが、この椿事を一郎に知らせようと、その部屋の前へ行った書生が、そこの見張り番もグッタリと眠り込んでいるのを発見したので、騒ぎは一そう大袈裟になった。
 一郎の部屋へはいってみると、そのベッドも空っぽであることがわかった。主人ばかりでなく一郎青年まで、神隠しにされてしまったのだ。
 残る家族といっては、七十八歳の祖母ただ一人、あの人もやられているのではないかと、急いでその部屋へ行ってみたが、ここの見張り番はちゃんと起きていて、老人は無事であることがわかった。
 隠しておこうと思ったのだけれど、この騒ぎを隠しおおせるものでなく、老人は間もなく二人の神隠しを気づいてしまった。そして、半ば狂せるがごとき彼女は、泣き悲しむかわりに、一そう、神がかりのようになって、銀髪を逆立て、眼を血走らせながら、例の仏間に駆け込んで、わけのわからぬ経文を高々と読誦しはじめるのであった。
 あらためて屋敷内外の大捜索が開始された。前に物置きに一郎が倒れていた例もあるので、部屋という部屋は、残らず、隅々までも探しまわり、三階の円塔の内部はいうまでもなく、母屋の縁の下まで調べ、広い庭園も草を分けるようにして捜索したが、二人の姿はもちろん、足跡その他手掛りになるようなものは何も発見されなかった。
 主人の寝室にも一郎の寝室にも、ゆうべ十一時ごろまでは、なんの異状もなかった。というのは、そのころまで、二人の部屋の見張り番が正気でいたからである。二人が一度はベッドに寝たことも、シーツの乱れなどから明白であった。
 だが、見張りの書生は二人とも、十一時ころから朝までのことをまったく知らなかった。その少し前、女中の運んでくれた紅茶を飲んだのだが、どうやらその中に眠り薬がはいっていたらしいのである。
 女中が取調べられたことは言うまでもないが、彼女は伊志田家に二年も勤めている素姓のよくわかった女で、黒覆面の共犯者とは考えられなかった。眠り薬を入れたものはほかにあって、彼女は何もしらず、ただそれを運んだばかりのように察せられた。
 では、眠り薬を入れたのは何者であったか。台所へは誰でも出入りできるのだから、家内の者すべて疑えば疑えぬことはなかったが、さしずめ三人の女中が厳重な取調べを受けた。しかし、女中たちにはこれといって疑わしい点もないように見えた。
 女中をのぞくと、あとは祖母と書生たちであったが、老人には何を訊ねても、ただ一心不乱に経文をつぶやくのみで、まったく要領を得なかったし、書生たちのうちに犯人がいようとも思えなかった。
 次には二人がどこから出て行ったか、或いは連れ去られたかという点が問題になったが、不思議なことに、玄関も裏口も出入りのできる場所はすべて、内部から戸じまりがしであって、書生や女中が起きるまでは、どこにも異状がなかったことが確かめられた。
 すると窓からでも出たのであろうか。なるほど、階下に寝室のある一郎は窓から出ることもできたであろうが、二階の伊志田氏が、高い窓から飛び降りたとは、ちょっと想像できないことであった。
 つまり、二人は一夜のあいだに、蒸発し或いは溶解してしまったかのような感じであった。
 見張り番が眠り薬を飲まされていた点から考えても、むろんこれは例の怪物の仕業に違いなかった。だが、あの黒覆面の曲者が、二人の大の男を、少しの物音も立てず、やすやすとどこかへ連れ去ったとは、いったいどんな手段によったのであろう。第一、出入口すらもわからないのである。怪物は人間界の法則を無視した妖術を心得ていたのであろうか。
 その黒覆面の怪物とは何者であったか。その正体は二十歳を超したばかりの美しい娘ではなかったか。人々はそれに思い当たると、慄然として肌の寒くなるのを感じないではいられなかった。
 彼女は父親と弟とを盗み去ったのだ。なんの目的で? いうまでもない、これまでの例でもわかるように、その生命を奪うためである。ああ、かくのごときことが、果たして人間界に起こり得るのであろうか。もしかしたら、これは現実の出来事ではなくて、伊志田屋敷の異様な建物の妖気が、人々を一場の悪夢に誘いこんでいるのではあるまいか。
 だが、これらの取調べには、主として警視庁から出張してきた刑事たちが当たったので、書生たちはまだ未練らしく庭のあちこち、木の茂みなどを覗き歩いていたのだが、そうして歩きまわっているうちに、書生の一人が、ふと妙な顔をして立ち止まった。
「おい、どうしたんだ」
「シーッ、静かにしたまえ……君、あれが聞こえないか。ほら、なんだか人の声のようじゃないか」
 言われて聞き耳を立てると、いかにも遠くから人の叫び声のようなものが聞こえていた。
「誰かきてくれって言ってるようだね。救いを求めているのだ。だが、いったいどこだろう。
 ひどく遠いようだが、塀のそとじゃないだろうか」
「いや、塀のそとじゃない。どこかこの辺だ。地の底から聞こえてくるような気がする」
「えっ、地の底だって?」
 二人はそんなことを言いながら、少しずつ声のする方へ近づいて行った。
「あっ、そうだ。あれかもしれない。君、きたまえ」
 一人が何を考えたのか、やにわに走り出した。わからぬながらついて走って行くと、林のようになった立木のあいだにはいって、一面の雑草と潅木の茂みの中に立ち止まった。
 そこに一つの古井戸が口をひらいていた。四角に石を畳んだ井戸がわに一面に青苔が生えている。書生はいきなりその石に手をついて、井戸の中を覗きこんだ。
「誰だ。君は誰だ」すると深い底から、陰にこもった声がのぼってきた。「僕だよ。一郎だよ。早く助けてくれたまえ」
 底は暗くて、人の姿もよは見えぬが、その声は一郎青年に違いなかった。
「アッ、一郎さんだ。待ってください。いま縄を持ってきますからね。しっかりしていらっしゃい」
 どなっておいて駆け出して行ったが、やがて、ほかの書生たちといっしょに、長い麻縄を用意して戻ってきた。
 仔細を訊ねている余裕はない。ともかく助け出さなければならぬ。四人の書生が手分けをして、一郎救い出しの作業がはじまった。そして、二十分ほどかかって、グッタリとなったパジャマ姿の一郎を、ようやく井戸がわのそとへ引き上げることができた。
 古井戸の底には、膝から下ほどの水が溜っているばかりで、溺れる心配はなかったが、しかし、一郎はなぜか、息も絶えだえに疲れはてていた。
 四人で抱きかかえて、彼の寝室へ運び、飲みものを与えて介抱するうち、一郎はやや元気を回復して、少しずつ話ができるようになった。
 寝室へは刑事も集まってきたし、ちょうどそのころ、急報を受けて駆けつけた北森捜査課長や三島刑事などの一団も到着して、すぐさま一郎の寝室へはいった。
 それらの人々の質問に答えて、一郎青年が語ったところを、かいつまんでしるせば……
 ゆうべ二時ごろ、ふと眼をさますと、枕もとに例の覆面の怪物が立っていた。ハッとして、ベッドを飛び降りようとしたが、怪物は恐ろしいすばやさで、彼の上にのしかかり、布を丸めたようなものを、いきなり口と鼻の上におしつけた。このあいだと同じ匂いの麻酔剤であった。
 一所懸命もがいているうちに、気が遠くなって、それからどんなことが起こったのか、少しも記憶しないが、つい今しがた、悪夢から醒めるように気がつくと、暗い穴の底の水の中に浸っていたので、びっくりしたが、どうやら井戸の底らしいので、もしや自宅の庭の古井戸ではないかと考え、ともかく救いを求めるために、大声に叫び出したということであった。
「で、あなたは一人だったのですね。お父さんのことはご存知ないのですね」
 北森課長が訊ねた。
「えっ、父がどうかしたのですか」
 一郎はサッと不安の色を浮かべて、叫ぶように聞き返した。
「隠しておくわけにもいくまいから、お話ししますがね。お父さんも同じような目に遭われたのです」
「えっ、父も? で、どこにいたのです」
「いや、まだそれがわからないのです。一同で充分探したらしいのですが、どこにも姿が見えないというのです。しかし、あなたの落ちていた古井戸を見逃がしていたくらいですから、もっとよく探せば、どこかお屋敷の中にいらっしゃるかもしれません。もう一度、捜索させてみることにします」
「ええ、是非そうしてください。しかし、父は生きているでしょうか。もしや……」
 一郎は父の無残な死体をまざまざと眼に浮かべたかのように、まっ青になって、唇を震わせながら、不安の言葉をつぶやくのであった。
 それから、新たに老練な三島刑事を加えて、再び邸内外の大捜索が開始されたが、やがて三十分ほどもたったころ、一人の刑事が、一郎の部屋にいる捜査課長のところで息せき切って飛びこんできた。
「おお、伊志田さんが見つかったのか」
 北森氏が思わず立ち上がって訊ねると、刑事は手を振りながら、
「そうじゃありません。犯人らしいやつを見つけたのです。すぐお出でください。廊下をウロウロしているところを引っ捕えたのです」
 と叫ぶように答えた。



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posted by じん at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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