2016年07月10日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第十九回 地底の礎刑」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録した「暗黒星」の第十八回目をお届けいたします。インバネスを羽織った怪しい影とは意外な人物であった……


 なんとか「江川蘭子」と「悪霊物語」の書き起こしが終わりました。これから校正です。というより、iPhone用にazkファイルを作成して、iPhoneで校正ですね。とりあえず、「江戸川乱歩全集㈢ 江戸川乱歩小説で唸る」という短編集を別でリリースするので、そちらに収録する予定です。『江戸川乱歩 作品集』には次回の更新のときに追加する予定です。


   暗黒星 第十九回 地底の礎刑



 地下道は案外短かく、四、五間も進むと、突然天井も左右の壁も遠ざかって、大きな部屋のような場所に出た。
 北森氏はピストルの引金に指をかけて、まっ暗な広間に立った。三島刑事もそれにつづいて、眼の前の間に懐中電燈の光を向けた。
 その丸い光の中に、黒いものがこちらを向いてスックと立っているのが見えた。黒覆面の二つの穴から、ギラギラ光る眼が覗いていた。さては、曲者は二人をここまでおびき寄せておいて、手向いするつもりなのであろうか。
「手を上げろッ! でないと……」
 北森氏は相手の権幕に驚いて、機先を制するために、いきなりピストルをつきつけながら、恐ろしい勢いでどなりつけた。
 すると、突然、実に意外なことが起こった。覆面の曲者が爆発するように笑い出したのである。はっきりした男の声で、さも快活に笑いだしたのである。
 こちらの二人は、この気違いめいた出来事に、あっけにとられて立ちすくんでいると、曲者は悠然として、顔の覆面を取りはずし、マントを脱ぎ捨てた。
 その下から現われたのは、若い娘であったか。それとも、兇悪無残の野獣のような男子であったか、いや、そこには一人の背広姿の瀟洒な紳士が立っていた。
「あっ、君は……」
「明智です。びっくりさせて申しわけありません」
 その紳士は明智小五郎であった。北森氏とは親しい間柄の私立探偵であった。
 ああ、これはどうしたというのだ。覆面の怪物の正体は明智探偵であったのか。すると、伊志田家の殺人事件の真犯人も彼なのであろうか。いや、そんなばかなことがあるはずはない。世に聞こえた名探偵の明智が、意味もない人殺しをする道理がない。しかし、それにしては、彼はなぜ覆面をしたりインバネスを着たりしていたのであろう。そして、二人を、こんな地下道などへおびきよせたのであろう。
 北森氏はこの奇々怪々の出来事をどう解釈していいのか、まったく途方にくれてしまった。そんなことはあり得ないと打ち消す一方から、ムクムクと恐ろしい疑惑が湧きあがってきた。
「これは一体どうしたというのです。明智君、君はまだ病院に寝ていたはずじゃありませんか」
 なじるように言って、じっと相手の顔を見つめた。
「いや、これには複雑な事情があるのです。あなた方を驚かせたのは申しわけありませんが、どうしてもこうしなければならない必要があったのです。あなた方をここへ連れ込む必要があったのです」
 明智の弁明はまだ不充分であった。
「それなら何も覆面なんかしないでも、ソッと僕に言ってくれればいいはずじゃありませんか」
「いや、それができない事情があったのです。ここのうちのものに、僕がきたことを知られたくなかったのです。僕はまだ病院にいると思いこませておく必要があったのです」
「それにしても、君は一体、その覆面や外套をどこで手に入れたのですか。まさかわざわざ新らしく作らせたのではありますまい」
「この地下道の入口にあったのです。ご想像の通り、ここが犯人の隠れがなんです。ここに一切の秘密があるのです。変装用具もむろんここに置いであったのです。僕はちょっとそれを拝借したまでですよ。
 この事件の最初、一郎君が曲者に刺された時、僕はあいつをさっきの廊下へ追いつめたのですが、曲者は煙のように消え失せてしまった。そこで僕は、後日あの廊下の辺を充分に調べたのです。何かカラクリがあるに違いないと考えて、隅から隅まで調べたのです。すると、あの押入れの中の秘密戸を発見した。そして、この地下室を見つけてしまったのです。
 実にうまい隠れ場所があったものだ。この家を建てた外人が、こんな風変りな穴蔵なんかこしらえておくものだから、今度のような犯罪が起こることになったのです。これがなければ、いくら賢い犯人でも、ああまで出没自在に振舞うことはできませんからね」
「そうでしたか。いつもながら君の手腕には敬服です」
 北森氏はホッとしたように、私立探偵をほめたが、何かまだ腑に落ちぬ点があるらしく、
「君は今、ここのうちのものに見られたくないと言いましたね。すると、犯人の同類が、邸内にいるとでもいうのですか」
 と訊ねる。
「そうです。同類がいるかどうかはわかりませんが、なにしろ犯人自身がこのうちのものですからね」
「じゃあ、やっぱりあの綾子という娘が……」
「いや、その事はあとでゆっくりお話ししましょう。今はそれよりも、もっと急を要することがあるのです」
「エッ、急を要するとは?」
「ちょっと、その懐中電燈をお貸しください」
 明智は三島刑事のさし出す電燈を受け取ると、それを振り照らしながら、穴蔵の奥へ進んで行った。
「ごらんなさい、あれを」
 懐中電燈の光がコンクリートの壁を照らしていた。そこに十字架上のキリストのように、礎刑になっている人の姿があった。
 シャツ一枚のはだかにむかれて、大の字にひらいた両の手首と足首を、石壁にとりつけた太い鎖に縛られて、グッタリと頭を垂れている人の姿があった。
 明智はそこへ駆けよって、電燈の光で調べていたが、
「大丈夫、まだ死んではいません」
 と安堵の声を漏らした。
「いったいそれは誰です」
「ごらんなさい。この家の主人です」
 下からの光で、うなだれた顔を見ると、意外にもそれは伊志田鉄造氏であった。苦痛の余りほとんど失神状態になっていたが、人々の声と、まぶしい光に眼を見ひらいて、なぜか烈しい恐怖の表情を示した。口には猿ぐつわをはめられていて、物をいうこともできないのだ。
 伊志田氏の磔刑になっていたのは、足先が地上から三尺も離れているほど高い場所なので、何か台がなければ助けおろすこともできなかったが、幸い、すぐそばにキャタツがほうり出してあるのを見つけたので、三人はそれを立てて、いろいろ骨を折って、伊志田氏を地上におろし、猿ぐつわもはずしてやった。
 伊志田氏は明智に助けられたことは充分意識している様子であったが、立っている気力もなく、グッタリと地上に倒れて、何かわけのわからないことをつぶやきながら、力ない手で、しきりと穴蔵の一方を指さすのであった。
 明智は、伊志田氏が何を言おうとしているのかを確かめるために、その指先の示す方角へ、懐中電燈を振り照らした。
「おやっ、あすこにもなんだか人がいるんじゃありませんか」
 北森氏が眼早くそれを見つけて、あっけにとられたように叫んだ。伊志田氏の縛られていた反対がわの壁に、もう一人の人物が磔刑にされている姿が、電燈の丸い光の中に、もうろうと浮き上がっていた。





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posted by じん at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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