2016年07月22日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第二三回 論争」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録した「暗黒星」の第二三回目をお届けいたします。明智探偵が犯人に告げた真実とは。


   暗黒星 第二三回 論争


「ハハハハハ、何をおっしゃるのです。もしそれが冗談でないとしたら、先生はきょうはどうかなすっているのですよ。まだからだのぐあいがよくないのじゃありませんか。そんなつまらない邪推なんか、弁解するのもばかばかしいくらいです。
 僕が真実の父や姉を殺そうとしたとおっしゃるのですか。真実の妹を殺したとおっしゃるのですか。母はほんとうの母じゃありませんでしたが、あのやさしいお母さんに、なんの恨みがありましょう。僕が気ちがいでもない限り、そんな無意味な殺人罪など犯す道理がないじゃありませんか。それとも、先生は僕は殺人狂だとでもおっしゃるのですか。
 また、たとえ僕に殺人の動機があったとしてもです。現実の反証がいくらだってあります。先生はもうお忘れになったのですか。最初僕がやられた時、先生は電話で、あいつと僕との格闘の音をお聞きになったじゃありませんか。そして、駆けつけてくだすって、僕を介抱していてくださる時に、犯人はカーテンのうしろに隠れていて、先生の眼の前を逃げ出して行ったじゃありませんか。あの時僕と真犯人とは同時に先生の前にいたのです。僕が犯人だとすれば分身の魔法でも使わない限り、そういうことは起こり得ないじゃありませんか。
 犯人が庭の塀の上を歩いた時だってそうです。僕は皆と一緒に鞠子の部屋の窓からそれを見ていたのです。そのことは書生にお聞きくだされば、はっきりわかるはずです」
 一郎は明智の疑いを一挙に粉砕してみせた。彼の論拠はことごとく動かすことのできないものばかりのように見えた。
「電話の声なんか、少しお芝居気があれば、どんなまねだってできる。それは問題ではないが、君のいうように、君と犯人とが同時に人の前に現われたことが幾度かある。この見事なトリックが、最初のあいだ、僕をだましていたのだ。
 君は実に用意周到だったね。みずから傷ついてみせ、みずから井戸の底に落ちこんでみせ、その上、君自身が僕に犯人捜査を依頼するというトリックだけではまだ危ないと思ったのだ。そこで君は、君と一緒にあの覆面の怪物を現わしてみせたのだ。むろんあれは君の替玉だった。実際の犯行の場合には、君があの覆面をつけ、インバネスを着たのだが、犯人はこの通りほかにいるという証拠を作るために、二度ばかり替玉を使った。覆面と外套で顔もからだも隠しているのだから、この替玉は少しの疑いも受けることはなかった」
「ハハハハハ、替玉ですって? うまい考えですね。僕は一体どこから、そんな替玉を雇ってくることができたのです。先生があくまでそれを主張されるのでしたら、一つその替玉に使われた男を、ここへ連れてきて、見せていただきたいものですね」
 一郎青年は少しもひるまず抗弁した。
「残念ながらその男を連れてくることはできない。なぜといって、その替玉の人物も君が殺してしまったからだ。実に君の注意は隅から隅まで行き届いていた。替玉に使われた男というのは、綾子さんの恋人の荒川庄太郎なのだ。
 君は荒川と綾子さんの秘密を知って、これを二重に利用しようと計画した。一方では綾子さんの恋愛のための異様な挙動を、綾子さんが犯人であるために、そういうそぶりをするのだと、人々に思い込ませ、一方では荒川を脅迫して、君の替玉を勤めさせた。
 荒川は殺人事件のことは知っていたに違いない。しかし、まさか君が犯人だとは気づかなかった。気の毒な被害者だと信じていた。だから、君が二人の関係をお父さんに告げるといって脅迫すれば、ただ恋人綾子さんにことなかれと願う心から、前後の考えもなく、妙な役目を引き受けたに違いない。むろん犯人の替玉だなどとは、少しも知らなかったのだ。
 これは僕の想像ではない。例のローマ字の日記帳が教えてくれたのだ。ほんの一行か二行の簡単な記事から、僕は一切の事情を悟ったのだ。あれほど用意周到の君が、荒川青年の秘密の日記帳に気がつかないなんて、千慮の一失というべきだね。
 そして、君はその荒川をなんの躊躇もなく撃ち殺してしまった。あの時小林君が見た、塔の窓の白い姿は、むろん君だった。君が綾子さんに変装していたのだ。なぜ荒川を殺さねばならなかったか。ここにも二重の意味があった。一つは綾子さんの塔の上からの信号を、いつまでも犯罪の合図であったと見せかけておく必要からだ。信号の真の意味が荒川の口から漏れては、すべての計画がだめになってしまうのだからね。もう一つは、いうまでもなく、君の替玉に使ったことを口外させないためだ。
 そして、君は綾子さんが殺害したかの如く装い、綾子さんを秘密の地下室に監禁しておいて、君自身姉さんに化けて家出をしてみせたのだ。君はからだも華者だし、女のように美しい顔をしている。カつラをかぶって女装をすれば、夜の人眼を欺くぐらい、さしてむずかしいことではない。
 君はその女装で、なるべく人の注意を惹くようにして、品川駅前の旅館に泊まり、そのまま裏口から逃げ出して、大急ぎでここへ帰ってきた。そして、あの物置き部屋にはいって、誰かが見つけてくれるまで、無意識をよそおってころがっていたのだ。麻酔剤のために前後不覚に眠っていたといえば、充分アリバイが成り立つわけだからね。
 君はお母さんと鞠子さんの命を奪ったばかりではない。なんの恨みもない荒川を殺した。この僕に重傷を負わせたのも、むろん君だ。君は僕を殺す意志はなかった。好敵手の命を絶っては、折角のスリルがなくなってしまうからね。ただ重傷を負わせて、数日のあいだ、僕をこの家から遠ざけさえすればよかったのだ。そのあいだに一切の計画を完了して、僕が病院を出るのを待って、ざまを見ろとあざ笑うつもりだったのだ。
 だから、君は絶えず病院を訪ねて、僕の心のうちを探ろうとした。いや、そればかりではない。綾子さんに嫌疑をかけるための、巧みな推理を組み立てて、僕に同意させようとさえした。あの綾子さんと鞠子さんの部屋の境の壁にしかけであったピストル装置も、むろん君の仕業だ。二人の留守の折に、どちらかの部屋へはいって、あの仕掛けをするのは、わけのないことだからね。そして、君自身仕掛けておいた装置を、さも手柄らしく発見してみせたのだ。
 僕は、あの時、君の推理を聞いているあいだに、はじめて君を疑う心が起こった。それまでは、君の美貌にあざむかれて、こんな若い美しい青年に、人殺しができるなどとは夢にも考えなかったのだ。あの時まで、僕は心から君の友だちだった。しかし、君のまことしやかな推理を聞いて以来、僕は君の敵になった。君を犯人と仮想してあらゆる関係を考察した。そして、君こそ犯人だという結論に達したのだ。
 そこで、僕はちょっとしたトリックを用いて、君を油断させた。きのう君が病院へ電話をかけてきた時、僕はあす退院するといった。それまではどうしても君のうちへ行くことはできないから、充分気をつけて身を守るようにといった。そういって君を油断させておいて、一日早く、きょう僕はここへやってきた。君はそれをまったく予期していなかった。あすまでは大丈夫だと、たかをくくっていたのだ。
 僕はここへ着くとすぐ、書生が君のところへ運ぶ紅茶の中へ、多量の眠り薬をまぜて、しばらく君を眠らせておいた。君が地下室の発見されたことを気づいて、逃げ出すようなことがあってはいけないからだ」
 その時、突然、ドアにノックの音がして書生が名刺を持ってはいってきたので、明智は話を中絶して、それを見なければならなかった。明智への来客らしく、彼は書生に「ちょっと待たせておいてくれたまえ」と答えて、追い出すように部屋を去らせた。
 すると、相手の言葉の途切れるのを待ち構えていた一郎が、その機をとらえて、恐ろしい勢いで抗弁をはじめた。
「面白いお考えです。小説としては実に面白いと思います。しかし、確証が一つもないじゃありませんか。ローマ字の日記帳とやらをのぞいては、ことごとくあなたの空想にすぎないじゃありませんか。また、その日記帳にしても、それを書いた男は、文学青年なのですからね。文学青年の頭には現実と空想のけじめがないのです。そこに何が書いであったにしても、そんなものは、取るに足らぬ幻想です。なんの確実性もないのです。
 それに、あなたは先ほど僕の言った、もう一つの重大な点に、まだ少しも触れないじゃありませんか。それは動機です。狂人でもない僕が、なぜ真実の父や姉を殺そうとし、真実の妹を殺害しなければならなかったかという、その理由です。動機がまったく不可能とすれば、そのほかの点がいかにまことしやかに説明されても、そんなものは一顧の価値もありません。僕には殺人の動機がまったく欠けているのです。絶対に不可能なのです」
「それが君の最後の城郭だね。そういう言い抜けの道があればこそ、君はさっきから、少しも不安を感じなかったのだ。お父さんや綾子さんが救い出されたのを見ても、平然としてこの捜査会議の席に列することができたのだ。
 しかし、一郎君、僕が動機を確かめないで、こんなことを言い出すと思うかね。僕はそれほどぼんくらではないつもりだ」
「では、この僕が、あの可愛い血を分けた妹を、殺したとおっしゃるのですか」
「ところが、君は鞠子さんの兄ではないのだ。伊志田さんの子でもなければ、綾子さんの弟でもないのだ」
 明智は実に驚くべき言葉を、ズバリと言ってのけた。



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posted by じん at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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