2016年07月23日

江戸川乱歩「暗黒星」書起。「第二四回 執念の子」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録した「暗黒星」の第二四回目をお届けいたします。犯人に秘められた驚くべき動機が、犯人の口から語られる。最終話。


   暗黒星 第二四回 執念の子


「えっ、なんですって? あなたはいったい、正気でそんなことをおっしゃるのですか。僕が伊志田の子でないなんて、もしそうだとすれば、父がそれを知っているはずです。姉がそれを知っているはずです。あなたは父や姉にそれを確かめてごらんになったのですか」
 一郎は憤怒に青ざめて、声を震わせて叫んだ。
「いや、お父さんや綾子さんは、そのことを少しもご存知ないのだ」
「えっ、父が知らないんですって、ハハハハハ、僕が父の子でないことを、父自身が知らないのですって? ハハハハハ、これはおかしい。いったいそんなことが世の中にあるものでしょうか」
「それでは、いま君に確かな証拠を見せて上げよう」
 明智はツカツカと立って行って、ドアをひらき、廊下に居合わせた一人の書生に、別室に待たせてあったさっきの客を、ここへ連れてくるようにと命じた。
 しばらくすると、書生に案内されて、三十四、五歳の背広を着た会社員風の男が、彼より十歳ほど年上の質素な身なりをした女を伴なって、はいってきた。
「これは僕の手伝いをしていてくれる越野君です。こちらの婦人は今から二十年以前、区内の近藤産科病院の看護婦を勤めていた宮本せい子さんです」
 明智は一同に両人を引き合わせた、読者はかつて明智が、病院のベッドの上で、捜査の端緒を摑んだといって狂喜したことを記憶されるであろう。その時、看護婦に電話をかけさせて、病院へ呼びよせたのが、今ここにいる越野であった。
「僕はこの越野君に重大な資料の収集を依頼したのですが、越野君は実に申し分なくやってくれました。
 越野君は、先ず伊志田一郎がどこで産れたかを調べたのですが、それは簡単にわかりました。伊志田鉄造氏の前夫人は、区内の近藤産科病院に入院して、一郎を産んだのです。いや、一郎ではなくて、今はどこにいるとも知れぬ、夫人のほんとうの子を産んだのです。という意味は、やはり同じ病院で、三日ばかり前に産れた別の赤ん坊と、伊志田夫人の赤ん坊とが、秘かに取り替えられたのです。その不正の手先をはたらいたのが、ここにいる宮本さんでした。越野君は、この宮本さんを、ずいぶん骨を折って探し出してくれたのです。
 僕は宮本さんに、詳しく当時の様子を聞いているのですが、僕の言葉がでたらめでないことを証するために、宮本さん自身の口から、簡単にそれを話してもらうことにします。宮本さん、あなたは後に伊志田一郎という名をつけられた赤ちゃんを知っているでしょうね。その赤ちゃんは、ほんとうは誰の子だったのですか」
 宮本せい子は、ドアの前に小腰をかがめて、おずおずしながら答えた。
「わたくし、ほんとうに申しわけないことをいたしました。今ではどんなにか後悔いたしておりますが、そのころはまだ、はたちを越したばかりの世間知らずで、ついお金に眼がくれまして……」
「で、その、あんたに頼んだ人というのは?」
「はい、瀬下……瀬下良一とかいうかたでございました。ちょうどそのかたの奥さんが、同じ病院でお産をなさいまして、その赤ちゃんを伊志田さんの奥さんの赤ちゃんと、こっそり取りかえてくれたら、これこれのお礼をするからとおっしゃって、莫大なお金を見せられたものですから、つい魔がさしまして……」
 宮本せい子がそこまでしゃべった時、恐ろしい叫び声が部屋じゅうに響きわたった。

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「もういい。わかった、わかった。もうたくさんだ。その先は僕が言う。僕に言わしてください。僕は親の意志を半分しか果たせなかった。だが、やれるだけやったのだ……そして負けたのだ」
 一郎青年が見るも無残な形相で、ベッドの前に立ちはだかっていた。
「僕は明智小五郎をみくびっていた。青二才のくせに天下の名探偵を軽蔑したのが間違いだった。この秘密だけは絶対に漏れるはずはないと安心しきっていた。それを明智さんは、すっかり調べ上げてしまった。僕は負けたんだ。もう隠しだてなんかしない。最初から命は投げ出しているんだ。完全に目的を果たさなかったのは残念だが、全力を尽して負けたんだから、地獄にいる僕の父も許してくれるだろう。
 皆さん、僕は悪魔の子なんだ。復讐の一念に凝りかたまった悪魔の子なんだ。瀬下良一というのは僕のほんとうの父です。僕はその父の呪いの血を受けて、復讐の器械としてこの世に生れてきた人外の生きものです。
 父は命がけで愛していた恋人を伊志田鉄造のために奪われた。その恋人というのが、僕の前の母、伊志田の先夫人です。
 父は恋人を奪われたばかりではない。商売敵の伊志田のために、事業を奪われ、財産を奪われ、ついに人の軒下に立つ乞食にまで零落してしまった。
 父はその乞食姿で、恨み重なる伊志田家の門前に立たなければならなかった。かたきの憐みを乞うほかに、まったく思案が尽きてしまったのです。その可哀そうな父を、伊志田は虫けらのように取り扱った。父の昔の恋人の前で侮辱の限りを尽した。
 父は伊志田家の門前で自殺をするか、復讐の鬼となるか、二つに一つを選ばなければならなかったのです。そして、くやしさの歯ぎしりで、口を血だらけにしながら、復讐の鬼となることを誓ったのです。
 ただ相手を殺すくらいではあきたりない。自分が受けた十層倍も辛い苦しい思いをさせてやらなければ気がすまぬ。そこで父は復讐の資金を得るために、或る手段を採った。その金で家を持ち、妻を娶った。その妻となった僕の母はやはり伊志田の悪辣な搾取に遭って、家を亡ぼした人の娘だった。父はそういう娘を探し出して娶ったのだ。そして二人の呪いを一つにして、僕という執念の子を産んだのだ。
 父は絶えず伊志田家の動静を探っていたから、伊志田夫人が妊娠したということも、すぐにわかった。ところが、不思議なことに、ちょうど同じ時、僕の母も僕を身ごもっていた。その偶然の一致が、父に悪魔の計略を授けた。伊志田夫人の入院した病院へ僕の母も入院した。そして、父は泥棒した金で、一人の看護婦を買収したのだ。人知れず赤ん坊のすり替えが行なわれたのだ。
 僕は伊志田家で育ったが、僕の父と、父が探し出してきた悪魔の申し子のような小娘とによって、絶えず秘かに、復讐の教育を受けていた。父はその小娘を、手を廻して、伊志田家の女中に住み込ませた、僕とその女中とはすぐ仲よしになった。そして、小娘は毎日のように僕を遊ばせにつれ出して、ある場所で、僕のほんとうの父に会わせていた。僕は父から、僕の使命を聞かされ、あらゆる悪魔の智恵を授かった。
 そうして、僕は大きくなったのだ。学校へ通ようようになると、その往き帰りには必ず或る場所で父に会った。僕は父が気の毒だった。父のためならどんなことをしてもいいと思った。
 その父は、今から五年前になくなったが、臨終の床で、血を吐きながら僕の手をくだけるほど握りしめて、復讐の誓いを立てさせた。その時、父の執念が、そのまま僕に乗り移ってしまったのだ。
 僕はそれからの五年間、今度の復讐の計画を立てるために、夜の眼も寝ないで考えた。考えに考え抜いた計画だった。
 だが、僕は自分の年齢を忘れていた。いくら考え抜いても、子供の智恵は子供の智恵にすぎないことを忘れていた。明智探偵に挑戦するなんて、身のほどを知らぬ虚栄心だった。そして、負けたのだ。見事に負けたのだ。
 もう逃げたって、逃げおおせないことはよく知っている。父の分と一緒に、お仕置を受けるまでだ。そして、早く地獄へ行って、父の顔が見たいばかりだ……」
 一郎は血走った眼で狂気のように叫びつづけたが、そこで言葉が途切れたかと思うと、カバとベッドの上に身を投げて、はげしく泣き出した。まるで四、五歳の幼児のように、ワーワーと声を立てて止めどもなく泣きつづけた。
「僕はすっかり面くらってしまった。明智さん、君の明察にも驚きましたが、この青年の告白には一そう面くらいました。
 永い警察生活のあいだにも、珍らしい例です。人間がこういう心持になるというのは、僕らにはほとんど理解の及ばないところですね」
 北森捜査課長は、あきれ果てたという様子で、明智の顔を眺めた。
「われわれの知っている人間とはまったく別物のようですね。さっき自分でも言っていた通り、この青年は執念の子に違いありません。親子二代にまたがる邪念の結晶です」
 さすがの明智小五郎も言うすべを知らぬかのように、撫然として腕をこまぬくのであった。



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posted by じん at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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