2016年08月07日

江戸川乱歩「黄金仮面」書起。「第一回 金色の恐怖」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「黄金仮面」の第一回目をお届けいたします。「黄金仮面」は明智小五郎シリーズとしては11作目にあたり、1930年9月〜1931年10月まで講談社の「キング」に連載されたものです。当時の「キング」は発行部数百万と云われた雑誌で、「黄金仮面」によって、江戸川乱歩は大メジャー作家の地位を築きます。昭和の初めの発行部数百万ですから、その影響力は絶大で、この作品によって、江戸川乱歩の知名度は普段探偵小説など読まないカフェの女給にまで知れるようになりました。
 なお、書き起こしたもので、最終校正はできていませんので、もし間違い等があればお知らせいただければ幸いです。底本は光文社の江戸川乱歩全集第7巻です。ルビは割愛していますので、ご了承ください。

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   黄金仮面 第一回 金色の恐怖


 この世には、五十年に一度、或は百年に一度、天変地異とか、大戦争とか、
と同じに、非常な奇怪事が、どんな悪夢よりも、どんな小説家の空想よりも、もっと途方もない事柄が、ヒョイと起ることがあるものだ。
 人間社会という一匹の巨大な生物が、何かしらえたいの知れぬ急性の奇病にとりつかれ、一寸の間、気が変になるのかも知れない。それ程常識はずれな、変てこな事柄が、突拍子もなく起ることがある。
 で、あのひどく荒唐無稽な「黄金仮面」の風説も、やっぱりその、五十年百年に一度の、社会的狂気の類であったかも知れないのだ。
 ある年の春、まだ冬外套が手離せぬ、三月初めのことであったが、どこからともなく、金製の仮面をつけた怪人物の風評が起り、それが人から人へと伝わり、日一日と力強くなって、遂には各新聞の社会面を賑わす程の大評判になってしまった。
 風評は非常にまちまちで、謂わば取りとめもない怪談に類したものであったが、併しその風評に含まれた、一種異様の妖怪味が、人々の好奇心を刺戟した。随って、この新時代の幽霊は、東京市民の間に、非常な人気を博したのである。
 ある若い娘さんは、銀座のショウウインドウの前で、その男を見たと云った。真鍮の手すりにもたれて、一人の背の高い男が、ガラス窓の中を覗き込んでいたが、ソフト帽のひさしを鼻の頭まで下げ、オーヴァコートの襟を耳の上まで立てて、顔をすっかり包んでいる様子が、何となく変だったので、娘さんは窓の中の陳列品に気をとられている様な風をして、首を延ばして、不意にヒョイと男の顔を覗いてやったという。すると、帽子のひさしと、外套の襟との僅か一寸ばかりの隙間から、目を射る様にギラギラと光ったものがある。ハッとして、青くなって、娘さんは男の側を離れてしまったが、男の顔は、古い鍍金仏みたいに、確かに確かに、無表情な黄金で出来ていたということだ。
 胸をドキドキさせて、遠くの方から眺ていると、男は、正体を見顕された妖怪の様に、非常に慌てて、まるで風にさらわれでもした様に、向うの闇と群集の中にまぎれ込んでしまった。男の覗いていたのはある有名な古物商の陳列窓で、そこの中央には由ありげな邯鄲男の能面が鉄漿の口を半開にして、細い目で正面を睨んでいたという。この不気味な能面と、男の黄金仮面の無表情の相似について、様々な信じ難い噂さえ伝えられた。
 ある中年の商人は、夜、東海道線の踏切を通って、無残な女の礫死体を見たが、まだ弥次馬が集まって来ない、たった一人の時、妙な洋服男が死体の側をウロウロしているのを見たという。その男もやっぱりソフト帽をまぶかにして、外套の襟を立てて、顔を隠す様にしていたが、商人は朧な月光でその顔が金色に光るのを確かに見た。
 いやそればかりではない。無表情な黄金仮面の口から顎にかけて、一筋タラリと真赤な液体が流れ、その口が商人に向って、ニヤリと笑いかけたというのだ。
 又、一人の老婆は、ある真夜中、自宅の便所の窓から、外の往来をスーッと通り過ぎた金色燦爛たる一怪人を見た。それは前の二つの例とは違い、顔ばかりではなく、全身まばゆいばかりの金色で、仮面の外に何か透通る様な薄い黄金製の衣裳を着ていたらしいということであった。
 殆ど信じ難い奇怪事である。若しかしたら、耄碌した老人の幻覚であったかも知れぬ。だが本人は確かに阿弥陀様の尊い金色の人を見たといっている。
 その外数限りもない風説を、一つ一つ並べ立てるのは無駄なことだ。兎も角、一時はこの時代錯誤な幽霊話が、東京市民からあらゆる話題を奪ってしまった。幽霊話とは云い条、少くとも十数人の精神健全な人々が、日を違え場所を変えて、確かにその黄金仮面の人物に出会っている。このお伽噺には、打消すことの出来ない実在性があるのだ。
 何かしら恐ろしい天変地異の前兆ではないかと云う者もあった。いや、石が降ったり、古池で赤坊の泣声がしたりする妖怪談と同じで、洗って見ればたわいもない悪戯に過ぎないのだという者もあった。
 併し気の弱い人達は、夜更けの一人歩きに、ふとすれ違う洋服男が、オーヴァの襟でも立てていようものなら、若しや「あいつ」ではないかと、胆を消す程におびえていた。無表情な黄金仮面という、何か人造人間めいた、一種異様の凄味が、幽霊などを信じない現代人を怖がらせた。
 これまでの所、この怪物はただ何かの凶兆の様に諸所に姿を現わすのみで、別に害をする訳ではない。鍍金仏の様な凄味を別にしたら、張りぼての広告人形と選ぶ所はない。で、警察は、この風評を知らぬではなかったけれど、迂闊に手出しをして、赤坊の泣き声が食用蛙だった様な、物笑いの種になることを虞れ、鳴りを鎮めてなり行きを見ていた。
 だが、黄金仮面は不良少年の悪戯やなんかでなかったことが、やがて分る時が来た。四月に這入って間もなくのある日、突如として、このえたいの知れぬ幽霊男は、一箇の大胆無謀なる犯罪者として、東京市民の前に現われたのだ。しかも、犯罪の場所、目的物、犯罪手段、逃走の手際、何から何まで、人の意表に出で、嘗つて何人も想像しなかった様な、途方もな離れ業を演じた。その余りの大胆、余りの突飛さの内に、何かしら不気味な、訳の分らぬ所があった。血の通った人間ではない。無情の金属製自動人形といった、実に変てこな感じを伴っていた。



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posted by じん at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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