2016年08月08日

江戸川乱歩「黄金仮面」書起。「第二回 大真珠」を掲載

『』に収録予定の「黄金仮面」の第二回目をお届けいたします。
江戸川乱歩 作品集 黄金仮面最初の盗難事件、大真珠「志摩の女王」です。当時の値段で二十万円に相当です。だいたいこの時代一円は現代の価値にすると四百円程度とされていますので、そのまま換算すると八千万円くらいでしょうか。当時の真珠は価値が大きかったんですね。
 当時は東京は東京府と呼ばれていたので、産業博覧会は東京府と東京市の合同主催だったということでしょう。モデルは昭和三年に開かれたときのものだそうです。

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   黄金仮面 第二回 大真珠


 その年、四月一日から五ヶ月に亙って、上野公園に十年来の大博覧会が開かれた。東京府市主催の産業博覧会であったが、その規模は全国的なもので、諸外国出品の為に、広大な一館を設けた程である。
 呼び物は色々あったが、建造物では、山内両大師の前に聳えた「産業塔」と名づける百五十尺の高塔、余興では南洋土人を加えた喜劇と舞踊の大一座(面白いことには、その喜劇の外題に、「黄金仮面」というのがあった。無論興行主の当て込みである)、そして、出品物では三重県の真珠玉が自慢の価格二十万円を唱える国産大真珠であった。しかも、これらの呼び物が、黄金仮面の犯罪に、夫々特別の関係を持っていたのは誠に不思議な因果と云わねばならぬ。
 国産真珠というのは、「志摩の女王」と名づけられた、その道の人は誰でも知っている、日本随一の大真珠で、産地は志摩国大王崎の沖合、鮑貝中から発見された珍らしい天然真珠、形は見事な茄子形、三百何十グレーンの逸品である。二十万円は少々懸値としても、一箇豆粒大の品が、一身代の価格を持つということが、田舎の見物の好奇心に投じ、その陳列台の前は、絶間もない黒山の人だかりであった。
 この真珠陳列場には、二十万円に相当する設備があった。頑丈な厚ガラスの扉には、特別の錠前がつき、その鍵は博覧会事務所に出張している真珠店の信用ある店員が保管し、番人も、一般に募集した少女ではなく、真珠店が傭入れた屈強の中年男である。まだその上に、万一の盗難を予防する為に、ある巧妙な秘密装置まで出来ているとの噂があり、そんな物々しい警戒が一層見物の好奇心をそそった。
 さて、博覧会開催第五日目の出来事である。その日はある高貴なお方の御来場を仰ぐというので、午後二時から、各陳列場の入口を閉し、一般観衆は暫くの間、余興場の立並ぶ一廓へと追い出された。
 大真珠「志摩の女王」の陳列された第一号館の建物は、貴賓御巡覧最初の御道筋に当るので、最も早く見物を追い出し、場内を清め、看守を交代させて、静かに御来着をお待ち申上げた。
 今まで雑沓していた館内が、見渡す限り、生人形みたいに御行儀のよい看守達の外には、人影もなく、物音も聞えず、まるで教会堂の様にガランとして、白昼ながら深夜の静けさであった。
 大真珠陳列台の並びの一側には、四人の看守がついていた。真珠護衛係の中年男、その左右に五六間の間を置いて、十七八から二十歳位の少女看守三人、それから向うは、通路が曲っているので、見通しが利かず、つまりその部分はこの四人の持場といった形になっているのだ。
 四人は看守控室でも、話友達であった。交代の時も一かたまりになって控室を出たが、その少し前に、誰かが四人の所へお茶を持って来て、
「高貴のお方の御顔を拝むんだ、お茶でも呑んで、心を鎮めて」
 といいなから、一人ずつ茶碗を配った。
 まだ博覧会が始まったばかりで、場慣れのしない四人の者は、殊更らこんな経験は初めてだったので、何となく喉の乾く様な気持がしていた所だ。早速そのお茶を飲みほした。
「オオ、苦い」
 少女看守の一人が、思わず呟いた程、お茶は苦かった。
「少し入れすぎたかな」
 男は笑いながら、茶碗を集めて向うへ行ってしまった。
 間もなく、看守達は館内に這入って、定めの持場についた。陳列台の切れ目切れ目に小さな椅子があって、彼等は愈々御巡覧の時まで、それに腰かけて待っているのだ。それまでにはまだ二十分程間がある。
「静かねえ、何だか気味が悪い様だわ」
 一人の少女が、真珠の前の男看守にやっと聞える程の声で云った。誰も答えなかった。男看守も、外の二人の少女も、目を細くして、一つ所を見つめたまま、何か考え込んでいる。
「アーアー、睡くなって来た」
 話しかけた少女は長い欠伸をしたかと思うと、これも目を細くして、動かなくなってしまった。
 やがて、途方もないことが始まった。四人の看守が四人共、ポッカリ口を聞き、涎を垂らして居眠りを始めたのだ。それも舟を漕ぐという様な生やさしい眠りではない。皆身体を二つに折って、膝の間へ首を突込むばかりにして、僅かの間にたわいもなく眠りこけてしまったのだ。男看守などは、椅子からずっこけて、変な恰好で地面に蹲ってしまった程だ。だが、位置の関係上外の看守達にはこの有様は少しも見えぬ。誰も気がつく者はない。御巡覧まで余す所もう十分だ。
 その時一人の洋服男が、ソフト帽をまぶかに、オーヴアの襟を立て、大きなハンカチで顔を隠す様にして、何か急用でもあるらしく、急ぎ足で、居眠り看守の一廓へ近づいて来た。
 外の通路の看守達は誰一人この男を疑うものはなかった。疑いをさしはさむには、彼の態度は余りにも圧倒的で、自信に満ちていたからだ。若い娘達は彼を御警衛の私服刑事と思込んだ。彼女等はそれが御巡覧の先振れでもある様に、坐様を直して、一層身を堅くした程である。
 男は居眠り看守の一廓にたどりつくと、よく寝込んでいる四人の者を見廻わして、安心した様に顔のハンカチを取った。ハンカチのうしろから現われたものは、云うまでもなく、ゾッとする程無表情な、金色の顔であった。
 黄金仮面はツカツカと、大真珠の陳列台に近づき、ガラスに顔をくっつけて、燦爛たる「志摩の女王」に見入った。彼の黄金の鼻の頭が、ガラスに触れて、カチカチと鳴った。金色の三日月型の口から、異様な咳き声が洩れる。怪物は今、喜びに震えているのだ。
 ガラス切断の小道具は、ポケットに揃っていた。何という手際、瞬く間に、その厚いガラス板に穴があいた。そこから、怪物の手が、蛇の様に忍び込む。
 アア、日本真珠の誇り「志摩の女王」は、遂に怪物の手中に帰した。彼は天鵞絨台座から、大真珠を掴みとった。
 その刹那、ジリリリ……と、けたたましく、建物の高い天井に鳴り響く電鈴の音。
 怪物は「アッ」と憤怒の叫びを発して、飛上った。飛上った足で、いきなり一方の出口に向って突進した。
 盗難防備の秘密装置というのは、この電鈴仕掛けだった。天鵞絨の台座に何かが触れると、忽ち鳴り響く非常報知器だった。
 続いて場内に湧起る、少女看守達の悲鳴、逃げまどう足音。だが、そこにいたのは頼み甲斐なき小娘ばかりではなかった。巡査上りの場内監督や、御警衛の為に出張した警察官達が、一方の出入口に集って貴賓の御来着を待受けていた。それら屈強の人々が、賊の影を見るや、帯剣を鳴らして殺到した。
 奇妙な鬼ごっこが始まった。陳列台と陳列台の作る迷路を、彼方此方と逃げまどう金色の怪物、はさみ撃ちにしようとあせる追手の人々。
 到底逃げおおせることは出来ないと見た怪物は、せめて、最も手薄な追手の方面を目がけて、こちらから突き進んで行った。
 そこには、小さい出入口を背にして、一人の警官が立ちはだかっていたが、賊が捨身に突進して来るのを見ると、サッと青ざめて、併し勇敢に大手を拡げた。
 二つの肉団が、激しい勢でぶつかった。
 だが、警官は到底金属製怪人の敵ではなかった。アッと思う間に、彼は大地に投げ倒されていた。
 怪物は建物の外に消えた。ワッと起る追手の鬨声。彼等はてんでに訳の分らぬことを叫びながら、出入口に駈けつけた。だが、己に賊の姿は見えぬ。
 そこは建物の裏手に当り、五六間向うには別の建物のこれも背面が聳えている。左右は行き抜けだけれど、見物人が入り込まぬ為に、両方の端に鉄条網みたいな柵が設けてある。その外は会場の大道路だ。今日は貴賓御警衛の為に、大道路には数名の巡査の姿が見える。
「オーイ、今その柵を越した奴はないか」
 一人の警官が怒鳴ると、左右の大道路に立番をしていた巡査が一斉にこちらを向いて、口々にそんな奴は見なかったと答えた。
 人々はお互に顔を見合せて立ちすくんでしまった。逃道はないのに、賊の姿が消えたのだ。
「オイ、この正面の建物は何だ」
 重だった一人が尋ねると、看守監督の男が答えた。
「演芸館の裏口です。ここから向うが余興場になっているのです」
「開演中かね」
「エエ、ホラ囃しの音が聞えるでしょう」
「まさか、奴、開演中の群集の真唯中へ飛び込んだのじゃあるまいね。いくら何でも、そんな無茶はしまいね」
「だが、左右の道路へ逃げなかったとすれば、いくら無茶でも、奴はここへ飛込んだと考える外はない。蒸発してしまったんでなけりゃね」
「兎も角検べて見よう」
一同は演芸館の裏口から、ドヤドヤと這入って行った。



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posted by じん at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸川乱歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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