2016年09月04日

江戸川乱歩「黄金仮面」書起。「第三回 恐ろしき喜劇」を掲載

江戸川乱歩 作品集』に収録予定の「黄金仮面」の第三回目をお届けいたします。
 昭和三年の産業博覧会には木造二階建ての演芸館も併設され、舞台はそちらに移ります。喜劇「黄金仮面」の舞台に本物の黄金仮面が逃げ込み、ちょっとスラップスティックな展開になります。喜劇「黄金仮面」をプロモートしたのは、やはり黄金仮面だったんでしょうかねぇ。


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   黄金仮面 第三回 恐ろしき喜劇


 お話変って、その時演芸場の舞台では、喜劇「黄金仮面」の第一幕目が終った所であった。何も知らぬ数千の見物達は、舞台上の偽の怪人「黄金仮面」に笑いこけていたのだ。
 新時代の幽霊「黄金仮面」のすばらしい人気を当て込んだ際物喜劇だ。興行主の奇策は見事に成功した。人々は「黄金仮面」という大看板に引きつけられ、ただこの出し物を見る為に切符を買った。無論立錐の余地なき満員である。
 ところが、喜劇に笑いこけていた見物達は、将に第二幕目の緞帳が上ろうとする時、実に変挺な出来事にぶつかった。というのは、突然幕外に一人のお巡りさんが現われて、何かしら怒鳴り始めたのだ。
「皆さん、唯今この裏の陳列場から、有名な大真珠を盗んで逃げ出した曲者があります。外に逃道はありません。この小屋へまぎれ込んだに違いないのです。今日は貴賓御来場の日です。もう御到着になった頃です。粗相があっては一大事です。我々は舞台と木戸口は充分検べました。併し見物席はこの満員で、検べ様がありません。で、諸君に御願いです。銘々に身の廻りを注意して下さい。そして、怪しい奴があったら私に知らせて下さい」
 場内のざわめきで、途切れ途切れにしか聞えなかったが、大体の意味は分った。
「そいつはどんな風をしているのです」
 勇み肌の職人体の男が、役者を弥次る様な声で怒鳴った。
「そいつは一目見れば分ります」警官は答えようとして、一寸躊躇した。「黄金仮面」などと云う言葉を使うのが、職掌柄変に思われたからだ。
 併し外に適当な呼び方もない。
「金製の面をかぶった奴です。噂の高い黄金仮面です」
 ドッと笑い声が起った。突然、今演じつつある喜劇の主人公の名前が出たからだ。ある者は、この巡査も実は役者の扮装したもので、こんなおどかしを云って、あとで大笑いをさせる魂胆だろうと思った。
 だが舞台の警官は一向種を割る様子がない。あくまで厳粛な青ざめた顔で、同じ事を繰り返し怒鳴っている。
 その様子を見ると、見物は笑えなくなった。場内はシーンと静まり返った。人々は自分の隣席の見物達を、疑い深い目でジロジロと眺め廻した。自分の腰かけている椅子の下を怖わ怖わ覗いて見るものもあった。
 併し、金色の男はどこにもいなかった。「そんな賊が群集の中へ飛込んで来るものか、馬鹿馬鹿しい、何を血迷っているんだ。もっと外を探して見るがいいや」
 感興を妨げられて憤慨した見物達が、ブツブツ小言を云い始めた。
 警官も結局あきらめて引込む外はなかった。
 その騒ぎが一段らくつくと、やがて遅れた第二幕目の緞帳が捲かれた。
 舞台は夜の公園の光景である。背景は黒幕、その前一面に深い樹立の体、光線といっては、青っぽい常夜燈がたつた一つ。怪談めいた場面である。
 先ず数人の仕出しが出て、「黄金仮面」の噂を精物凄く話し合うことよろしくあって、彼等が引込むと、この芝居の副主人公とも云うべき、非常な臆病者が登場し、暫く独白をやっている所へ、うしろの木立を分けて、ヌッと黄金仮面が現れる。と云う順序だ。
 で、愈々怪物が姿を現わした。前幕と違って、顔ばかりでなく、全身をダブダブしたマント様の金色の衣裳で包んだ、変な恰好だ。それを見た臆病者の大げさな仕草、当然見物席に、哄笑が起る筈の場面である。だが、誰も笑うものはなかった。さっきの本物の黄金仮面の騒ぎが、まだ人々の頭を去らぬのだ。そして、真実と舞台との異様なる相似が、見物達に何とも云えぬ変挺な感じを与えたのだ。
 やがて、この幕第一の見せ場が始まる。
 燐光のスポットライトが、闇の中に、怪物の顔の部分を丸く浮き上らせた。舞台にはたった一点、金色のお能面の様な顔丈けが、燐光に燃えている。
 と、どこからともなく、シューシューという、変な音が聞え始めた。同時に、仮面の黒く割れた口が少しずつ形を変えて、遂に大きな三日月型の、笑いの表情になった。見物達が思わずギョッとして、耳をすますと、シューシューという音は、怪物の笑い声であることが分った。アア、何といういやらしい笑い声だったろう。いつまでもいつまでも笑っている。そして、見ると、笑いながら彼は血を吐いているのだ。細い細い糸の様な一筋の血が、ツーッと顎を伝って、その末は、顎の先から、ポタリ、ポタリと雫になって落ちているのだ。
 喜劇と知りながらも、余りの怖さに、見物は息を呑んで、静まり返って、怪物の顔から目をそらす力もない。
 云うまでもなく、脚色者は、例の踏切りで怪物に出逢ったという商人の話を、そのまま劇中に取入れたのだ。又、全身金色の衣裳は、老婆の実見談から思いついたものであろう。
 見物中の敏感な少数の人は、己にある恐ろしい疑惑に囚われていた。これが偶然であろうか、本物の黄金仮面が「黄金仮面」劇の小屋に逃げ込んだということが。そこに悪魔の傍若無人な悪企みが隠されていたのではなかろうか。
 それらの人々は、一秒一秒と時のたつのが恐ろしかった。「今にも、アア、今にも」彼等は外の見物の咳ばらいの音にも、ギクンと飛上る程、おびえ切っていた。
 突知、舞台が明るくなった。怪談から喜劇への転換だ。そこへ臆病者の知らせによって、三人の滑稽なお巡りさんが駈けつけて来る。
 ある予感に震えていた少数の見物人は、それを見ると、思わずアッと叫び相になった程だが、一般の群集は、反対にゲラゲラ笑い出した。愈々喜劇だ。やっと救われたという感じである。初日からここへ三人の巡査が登場することに極っていた。そしてお芝居はそれからウンと馬鹿馬鹿しくなることが分っていた。見物が笑い出し哨肋は当り前なのだ。
 お巡りさんの一人が、怖々怪物に近寄って、出来る丈け威厳を示して叫んだ。
「コラッ、貴様、その面をとれ。顔を見せろ」
 黄金仮面は聞えぬものの如く、ボンヤリ突立っている。電燈に曝された金ピカの怪物は、途方もなく滑稽なものに見えた。
「聞えんのか。オイ。返事をしろ。顔を見せろ」
 いくら怒鳴っても黙っているので、たまり兼ねた一人のお巡りさんが、いきなり怪物に飛びかかって行った。けたたましい靴音、帯剣の響。怪物はスルリと逃げた。何という素早さ。遥かに飛びのいて、中腰になって、鼻の先で五本の指をへラへラやっている。三人のお巡りさんが一斉にあとを追った。すさまじい大立廻り。見物席は大喝采、哄笑爆笑の渦巻で湧き返る様だ。
 到頭大変なことが始まった。追いつめられた黄金仮面は、金色の衣裳を焰の様にひるがえして舞台から見物席へ飛降りた。
「やっぱりそうだ。やっぱりあいつだ」
 例の敏感な見物の一人が、真青になって思わず呟いた。だが、見物席全体の暁笑は一層ひどくなった。この役者達のずば抜けた悪ふざけが、彼等の御気に召したのだ。
 怪物は椅子と椅子との間の細い通路を正面に向って走り出した。お巡りさん達も舞台を飛び降りて彼のあとを追った。
「捉えてくれ。そいつが曲者だ。そいつが本当の曲者だ」
 お巡りさんの真に迫った悲痛な叫び声。だが、見物の笑いは止まらぬ。
「やれ、やれ、しっかりやれ」
 弥次馬が面白がって、頓狂な声で怒鳴る。
 人々は、この奇妙な追っかけは、見物席を一廻りして、又舞台に戻るものと信じ切っていた。だが、怪物はどこまでも真直ぐに走って行く。
 監督席の前を通り過ぎた。その席には二名の警官が、見物と一緒になって笑いこけている。
「君、そいつを逃がすな。オイ、馬鹿ッ、間抜けッ、何をボンヤリしているんだ」
 追手のお巡りさんが走りながら気違いの様に怒鳴った。併し監督席の警官には通じない。それもお芝居のせりふの内だと思い込んでいるからだ。
 その時、舞台に数名の、明かに役者でない人々が立現われ、ドカドカと見物席に飛降り、お巡りさんのあとから走り出した。その中には、見覚えのある、さっき幕外で見物達に話しかけた警官の顔も見えた。
 鈍感な群集にもやっと事の真相が分った。笑い声がパッタリ静まった。一瞬間死の様な静寂、続いて湧起る恐怖のざわめき。訳の分らぬののしり声。
 だが、その時分には、怪物はとっくに木戸口を脱出して、会場内の広っぱを、まっしぐらに走っていた。
 こんな風に書いていると長い様だが、舞台が明るくなってから、怪物の姿が木戸口の外に消えるまで、僅々二三十秒の惶しい出来事であった。
 それにしても、何たる奇怪事、何たる大胆不敵のトリックであろう。舞台で喜劇を演じていたのが、恐ろしい真珠泥棒、本物の黄金仮面であったのだ。お巡りさんも役者ではない。真珠陳列場から犯人のあとを追った正真正銘の警官達だ。彼等は演劇の中途で、やっと怪物のトリックを看破し、開演中をも構わず舞台に躍り出した。それが偶然喜劇の筋書と一致したのである。
 舞台とお芝居の重複、一体全体何がどうしたのか、舞台監督も、役者も、道具方も、見物達も、思考力が滅茶苦茶にこんぐらかって、余りのことに聞いた口がふさがらぬ有様だ。
 これは後に分ったことだが、読者諸君の為に附加えて置くと、騒ぎが一段落ついたあとで、所管警察の署長が興行主を呼んで、黄金仮面に扮した役者の身元を聞訊し、その住居に手入れをした所が、意外にも当の役者は、その日一日家にとじこもっていて、一歩も外へは出なかったとの答えだ。
 どうして芝居を休んだのかと尋ねると、
「どうも相済みません。慾に目がくれましてね。見も知らぬ紳士でしたが、早朝私を訪ねて参りまして、今日一日外出しないという約束で、五十円現なまを貰ったのです。誠に申訳ありません」
 という次第だ。つまり黄金仮面はその役者にばけて、朝から博覧会の演芸場の楽屋に納っていたのだ。貴賓御巡覧の為に場内がひっそりするのを待って、楽屋口を抜け出し、四人の看守に麻酔薬を呑ませて置いて、真珠陳列場へ忍込んだ。そして、何食わぬ顔で、又元の楽屋へ引返し、喜劇「黄金仮面」の主役を演じさえしたのだ。金製の仮面という絶好の隠れ蓑があった。同僚の役者達も、役柄故、彼が楽屋にいる時も、仮面をかぶり続けていたのを、さして怪しまなかった。それに、彼は座頭格で、小さい楽屋部屋を独占していたものだから、不思議と化の皮がはげなかったのであろう。
 一見、傍若無人大胆無謀の様で、流石は二十万円の宝石を狙う程の大賊、実に細心な計画を立てていたのだ。だが千慮の一失、それ程の彼も、神ではない。真珠の台座に非常報知の電気仕掛けがあろうとは、夢にも知らなかった。賊の身にしては、どんなにかいまいましいことであったろう。



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posted by じん at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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